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栃木県佐野市の城館索引へ戻る 小見城周辺 小見城のバナー 小見城周辺
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008年11月23日のブログ
所在地
 栃木県佐野市小見
歴史、人物、伝承

小見氏の築城と伝わる
 戦国時代中期の永正年間(1504−1520)に佐野越前守守綱の二男小見次郎左衛門尉是綱が築いたと伝わり、本城唐沢山城の西域を防御する支城であったとされている。
 当該遺構については、「日本城郭全集2」(1967)によれば、「栃木県史巻7」(1936)を引用し、戦前までは林であり、45m四方の周囲に高さ2.4mの土塁がめぐらされ5.4m幅の堀が北と東に残ると記されているが、現在城跡は跡かたもなく畑地や宅地と化していると記されている。しかしこの点について後年編纂された「栃木県の中世城館跡」(1982)では、南北約64mの土塁が残されていたと記されている。
 一方所在地については、「奈良文化財研究所の遺跡データベース」のデータを辿れば下記画像の個所より南西に約200mすすんだ地点、しかし「日本城郭全集2」の記述をたどると東方約200mの地点を示している模様である。

確認可能な遺構
 消滅(所在地不詳)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年11月23日 13時20分から13時35分
訪城の記録 記念撮影

 推定所在地は正に同行いただいたG氏の指摘どおりで、己の不明を恥じることになりました。しかし遺構の形跡がかなり曖昧な印象も拭えません。生垣の辺りが幾分盛り上がっているようにも見えるのでありますが、生垣の造作に伴う盛り土のようにも思われます。というような次第で画像はあくまでも城跡周辺地域の景観ということになります。何れ機会があれば再訪する可能性は、何とも....(汗)

( 2011/6/30 記述 )
小見城周辺
小見城周辺の景観
( 2008年11月23日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図(所在地不詳)

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)
「校訂増補下野国誌」(1968/下野新聞社)

・2011/06/30 HPアップ
・2019/06/12 画像ズレ補正
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