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栃木県足利市の城館索引へ戻る 小俣氏館の付近 小俣氏館のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月7日のブログ
所在地
 栃木県足利市小俣町町屋
歴史、人物、伝承

小俣城南麓の居館跡とも
 足利市一族小俣氏の館跡と伝わり、同氏は代々真言宗鶏足寺の別当職をはじめとして大岩寺などの他の寺院の要職をも相伝したとされている。
 また小俣氏の衰退後には渋川氏がこれに代わり支配したとされており、居館は渋川義昌の時代に築造されたとも伝わるが明確ではないといわれておりその詳細は不明であるらしい。
 北方の尾根筋には比高佐約200mの山城である小俣城が所在し、別名渋川館とも呼称される。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年2月7日 9時20分から9時40分
訪城の記録 記念撮影

 邑楽町などの2か所ばかりをのんびりと散策をしていたこともあり約1時間遅れのスタートとなりました。かつて足利氏庶流小俣氏が代々別当を勤めていたといわれる鶏足寺の南側の平地に所在していたとのことです。
 山崎一氏が約40年以上前に調査された縄張図には、土塁跡等の残滓が記されておりますが、無論40年間の歳月の流れは、その痕跡を消し去るに余りあるものがあったようでした。なお、「栃木県中世城館報告書」に記されている推定地と山崎氏の縄張図に記された所在地には幾分微妙なズレがあるようにも思われます。
 また、鶏足寺を中心とする一帯には中世寺院跡に関連すると思われるような平場、土塁などの地形も残存しておりましたが館跡との関係については不詳です。

( 2011/9/2 記述 )
小俣氏館の周辺
小俣氏館の周辺
( 2009年2月7日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「続・群馬の古城」(2008/山崎一著/あかぎ出版)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)

・2011/09/02 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
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