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栃木県足利市の城館索引へ戻る 小野寺城跡 小野寺城のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年2月7日のブログ
所在地
 栃木県足利市川崎町
歴史、人物、伝承

小野寺氏の属城とも
 「栃木懸誌」などの記述によれば、渡良瀬川の北岸低台地に占地し往時は東、西、北に土塁と堀を廻らし、東西約160m、南北約42mの方形をなしたという。建仁年間(T201−1204)に小野寺氏第2代の通綱が築城し、その子通業に居城させ、岩船の小野寺城の支城として続いた。しかし、天井18年(1590)13代景綱の時に、足利城主長尾顕長と共に小田原北条氏に与同し滅亡して廃城となったという。
 なお「長尾氏分限帳」(近代足利市史1)によれば、小野寺遠江守が川崎の地に居を構え300貫文を知行していたことが記されており、小野寺氏の譲状からは河崎3か村を相伝していたことなども窺える。
 その所在地から別名を川崎城ともいう。

確認可能な遺構
 河川敷として整備され消滅
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年2月7日 15時35分から15時40分
訪城の記録 記念撮影

 「栃木県誌」によれば小野寺氏の一族の居城跡(「小野寺支城址」とも)記されております。一説によれば、明治期の終わり頃までは土塁と堀跡が残存していたともいうことです。
 さて推定所在地は渡良瀬川左岸の河川敷のど真ん中で、現況はゴルフの打放し練習場でした。また練習場の整備作業車がもうもうと埃を上げて河川敷の中を走り回る姿がとても印象的ではありました。
 遺構が完全消滅していることは承知の上でしたが、どう見ても数合わせのようなこの日の締めくくりとなりました。

( 2011/9/9 記述 )
小野寺城跡
小野寺城跡
( 2009年2月7日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)

・2011/09/09 HPアップ
・2019/06/11 画像ズレ補正
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