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栃木県足利市の城館索引へ戻る 岩井山城遠景 岩井山城のバナー 岩井山城大手付近
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年1月24日のブログ
所在地
 栃木県足利市岩井町岩井山
歴史、人物、伝承

足利長尾氏発祥の地とも
 渡良瀬川に西方と南方を囲まれた比高差20mほどの小山に占地している。文正元年(1466)山内上杉氏の重臣である長尾景人(初代足利長尾氏)が足利荘の代官としてこの地に入部し足利長尾氏の拠点となった。その後永正年間には足利城(両崖山)へと本拠を移したため、以後は同氏の支城として継続したものと考えられる。
 また「栃木懸誌」によれば、天正年間には長尾顕長の家臣である白石豊後守、淵名上野介が居城したものとされ、唐沢山城主佐野氏との争奪が行われたという。

確認可能な遺構
 主郭、郭、腰郭、堀切、物見台、帯郭ほか(ただし笹の繁殖が著しく遺構の確認が難しい)
文化財指定
 1970年7月25日足利市史跡指定
訪城年月日
 2009年1月24日 13時20分から13時40分
訪城の記録 記念撮影

 持参した資料などから凡その縄張はつかめるものの、主郭付近では熊笹が元気に成育中でした。腰郭、帯郭などでも同様です。このため撮影した画像の大半は熊笹の藪に過ぎないという結果となりました。ただし大手方面と推定される部分については容易に判別可能でした。
 なお「松陰私語」によれば、文明3年(1471)4月に古河公方勢力に対する山内上杉方の前線基地としての役割を果たしていたものとされています。しかし周囲の山麓を含めたとしても少なくとも数千の軍勢が駐留することのできるだけの広さは有してはいないようにも思われました。従って仮にその駐屯地として利用されたとしても、あくまでも一時的なものであったのではないかと推定されます。

( 2011/8/8 記述 )
岩井山城の全景 ⇒ 画像クリックで現地解説板の説明へリンク
岩井山城の全景
( 2009年1月24日 撮影 )
訪城アルバム
主郭北東部の堀切
大手付近
凸1 堀切
 主郭(画像右側)と腰郭(画像左側)を隔てる堀切跡とされていますが、うっかりすると見落とすような地形です。
凸2 大手付近
 大手口と推定される主郭東方の中腹付近。主郭方面から横矢のかかる構造となっています。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「とちぎの古城を歩く」(2006/塙静夫/下野新聞社)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)
「校訂増補下野国誌」(1968/下野新聞社)

・2011/08/08 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
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