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栃木県足利市の城館索引へ戻る 富士山城 富士山城のバナー 富士山城主郭
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年1月24日のブログ 浅間山
所在地
 栃木県足利市
歴史、人物、伝承

足利城の支城
 天正年間(1573−1592)頃に足利長尾氏の家臣である岡田豊前守長親により築城されたと伝わるが、幾分直線的な防御形式を有していることから、やや古い時代の構造であることも想定される。
 富士山(ふじやま、ふじさん)城の中央部に位置する梯郭形式の山城であり、主郭と複数郭群から構成されている。東西約20mから35m、南北約110mの範囲に梯郭形式の郭面を有し主郭には物見を兼ねたと考えられるL字型の土塁が残存し、東西の山腹には長大な帯郭を伴っている。南方には富士山、北方には浅間山の郭塁が100mに満たない至近距離で続いているが、構造的に離間していることから別個の城郭として扱った。
 なお呼称については、「栃木県の中世城館跡」の記述に従った。

確認可能な遺構
 土塁、郭、帯郭、小口
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年1月24日 11時45分から12時15分
訪城の記録 記念撮影

 北方の浅間山に比べて笹薮が少ない分遺構の確認は容易ですが、デジカメ画像にとっては矢張り難敵のようです。最高部の北側の土塁をはじめとする南へと続く雛壇上の郭遺構、これを挟み込む形で東西の帯郭も明確に存在していますがあくまでも肉眼を通しての話。   雛壇の構造から見る限りでは、南側に対する備えを有する城郭であるとも考えられます。ただし北側の浅間山と南側の坊主山の遺構は、双方ともに尾根筋の北側方向に何段もの腰郭を備えています。 この点をどう解釈するのかが課題のひとつとなるのでしょうか。またこの三か所の遺構が同時代的に機能していたのかということも大きなテーマのようです。

( 2011/7/28 記述 )
浅間山から眺めた富士山城
浅間山から眺めた富士山城
( 2009年1月24日 撮影 )
訪城アルバム
主郭の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 主郭の土塁
 主郭北方に残存しているL字型の土塁なのですが、このデジカメ画像からでは僅かな地面の凹凸にしか見えません...(汗)
凸2 主郭
 丁寧に削平された約20m四方の広さを有している主郭の郭面で、土塁の形態から小口は東側に置かれていたものと推定されます。
交通案内

・比高差約75m

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)、
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)

・2011/07/11 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
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