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栃木県足利市の城館索引へ戻る 足利氏館の西門 足利氏館のバナー 足利氏館の西側遺構
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009年1月24日のブログ
所在地
 栃木県足利市家富町2220
歴史、人物、伝承

足利氏の館跡とも
 この足利氏館の創築者には諸説もあるが、一般的には足利氏第2代である足利義兼(あしかが/よしかね)説が有力視されているという。また方形館の発生時期については異論もあるが、いちおうは鎌倉初期の地方武士の館跡の姿を今に伝えるものとされ国の史跡(「足利氏宅跡」)にも指定されている。また、南東側には有名な足利学校も所在している。この辺りの見解については今後の考究を期待したい。
 建久7年(1196)に足利義兼が館内に持仏堂を建立して、後の鑁阿寺(ばんなじ)へと発展し以後足利氏の氏寺となり現在に至っているとのことである。このため足利氏の居館としての存続期間は比較的短いようで、13世紀の初め天福2年(1234)には大御堂(国重要文化財)が建立され本格的な寺院への移行が図られたものとも考えられている。

確認可能な遺構
 土塁、水堀、土橋
文化財指定
 国指定史跡
訪城年月日
 2009年1月24日 12時50分から13時05分
訪城の記録 記念撮影

 財団法人日本城郭教会の日本百名城にも選定されている著名な足利氏の館跡で、一辺が約200mの水堀に囲まれた整然とした方形館です。予想されたことではありますが、確かに余りにも整然とした佇まいの寺院境内でもありました。
 境内には老若善男善女が三々五々参詣に訪れており、そろそろ八重咲きの紅白の梅がボチボチ見頃となっておりました。 先年他界し既にこの世には居ないはずの両親が仲良く参詣する後ろ姿が、ふと浮んで見えたようにも思えた穏かな昼下がりでした。またそうした両親の晩年の時代に差し掛かっている自分の姿をあらためて感じています。

( 2011/8/6 記述、2019/06/10訂正/追記 )
西門付近 ⇒ 画像クリックで水堀の画像へリンク
西門付近
( 2009年1月24日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「とちぎの古城を歩く」(2006/塙静夫/下野新聞社)
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「日本100名城 公式ガイドブック」(2007/学研)
「関東の名城を歩く 北関東編」(2011/吉川弘文館)

■郷土史・歴史関係
「栃木県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「角川地名大辞典栃木県」(1984/角川書店)
「近代足利市史1」(1977/足利市)
「栃木懸誌」(船橋一也/1904年の復刻版/歴史図書社)
「校訂増補下野国誌」(1968/下野新聞社)
知られざる下野の中世(2005/随想舎)

・2011/08/06 HPアップ
・2019/06/10 画像ズレ補正
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