素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
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2009/03/07のブログ | |
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千葉県印旛郡印旛村岩戸字市場(西方) |
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土塁状?の地形 |
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なし |
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2009年3月2日 14時50分から15時45分 |
( 2009/03/02 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社) ⇒「江戸末期の館跡で遺構は不明」とのみ記載されていますが、幕末期には佐倉藩と幕府直轄領の相給であったと推定されることからの幕末期の米津氏所縁の屋敷という説は疑問の余地がありそうです。 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(1996/東洋書林) ⇒時代区分は近世、岩戸字西方に所在する旨のみが記載。 ■郷土史・歴史関係 「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) ⇒岩戸村は近世の初め旗本米津氏の所領とされていますが、寛文6年(1666)の久喜藩成立以降は幕府直轄領との相給となり、その後寛政10年(1798)の出羽長瀞への転封により岩戸村との関係が途切れたものと考えられます。 「千葉県印旛郡誌上下巻」(1912刊/1971崙書房より復刻) 「日本史諸家系図人名辞典」(小和田 哲男 監修 2003/講談社刊) 「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社) 「利根川の歴史」(2001/国書刊行会) 「東根市史通史編上巻」(1995/山形県東根市) ⇒米津氏(よねきつし)の歴代藩主、幕末時の慶応3年(1867)の所領の散在状況、武蔵久喜藩、出羽長瀞藩転封の経緯も記されています。 初代田政(たまさ、通称官兵衛)は慶長9年(1604)に江戸町奉行に任ぜられ5千石を知行されました。二代目の田盛(たもり、通称内蔵助)は寛永2年(1625)に家督を相続し、承応3年(1654)に従五位下出羽守の官位・受領に叙任され、寛文6年(1666)には旗本から1万5千石の譜代大名へと出世しました。また、こののち出羽守を叙任されたのは宝永6年(1709)の5代政容(まさよし)と明和4年(1767)の7代通政(みちまさ)がいます。 ※同書は「新訂寛政重修諸家譜」・「徳川実記」の記述をまとめた「東久留米市史」より引用。 「旧高旧領取調帳関東編」(1969/近藤出版社) ⇒これによると幕末期の岩戸村では佐倉藩と幕府直轄領の相給となっています。 ■史料 − ■その他 − ・2010/01/02 HPアップ
・2019/06/19 画像ズレ補正 |