素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録 | |
2010/01/11のブログ | |
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千葉県鎌ヶ谷市中佐津間1−9(旧所在地表示:佐津間字屋敷裏) |
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土塁、空堀ほか |
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鎌ヶ谷市指定史跡 |
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2010年1月9日 15時40分から16時30分 |
( 2010/01/09 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「改訂版 図説房総の城郭」(2006/千葉城郭研究会/国書刊行会) →城の性格として、「村の城、或いは村落支配の拠点」といった見方を提示する一方で、「水陸交通の監視機能を担っていた可能性」を指摘している。 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林) ⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版 →城の歴史について、千葉氏系城郭との伝承・通説を示すとともに、「遺構の広がりから見て船舶航行上の監視所的な城郭から拠点支配の城郭に改変されたものと考えられる」との説を提起し、また、「各遺構に高度な技巧が見られることから、戦国期末まで使用していた可能性」についても示唆している。 ■郷土史・歴史関係 「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社) 「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) 「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版) →「鎌ヶ谷村佐津間字城山にあり、地は入谷津に突出する高台にして、田面より約五丈余、眼界東南に開け、背面は畑地山林数町連続す、城址は約5反歩二重の空堀今尚存し当時要害の状歴然たり...」と記されている。なお、この二重の空堀とはかつて北西部に所在していたとされている外郭部の空堀を含めて称しているものと考えられる。 「鎌ヶ谷市史 中巻」(1997/鎌ヶ谷市) 「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房) →相馬氏、岡田相馬氏に関する在地支配の変遷に詳しい。 「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房) 「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社) 「利根川の歴史」(2001/国書刊行会) 「戦国房総人名事典」(千野原靖方/2009/崙書房) ■史料 − ■その他 「ふさの国文化財ナビゲーション」HP 「奈良文化財研究所」遺跡データベース ・2010/09/09 HPアップ
・2019/06/22 画像ズレ補正 |