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京都府京都市の城館索引へ戻る 淀城天守台 のバナー 淀状内堀
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年4月13日のブログ 淀古城
所在地
 京都府京都市伏見区本町、淀
歴史、人物、伝承

鳥羽伏見の命運を左右
 元和9年(1623)第2代将軍徳川秀忠は松平定綱に新たな淀城の築城を命じ、外堀には桂川と宇治川などの河川が利用されたという。
 築城に関しては廃城となった伏見城の石材が転用され、天守台には二条城の天守が移築されたが、宝暦6年(1756)1月に落雷により焼失した。享保8年(1723)稲葉正邦が入部し、以後淀藩10万2千石の居城となった。しかし鳥羽伏見の戦いでは幕府方にはつかず、局外中立をまもりその勝敗を分ける一因のひとつともなったともいわれている。
 本丸と二の丸を内堀で囲み、三の丸と西の丸、東曲輪を配した大規模な近世城郭であったが、現在の城跡は本丸を中心に天守台、石垣を伴う内堀の一部(南面と西面の一部)が残存しているに過ぎない。

確認可能な遺構
 石垣、土塁、石碑
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年4月13日 11時40分から12時10分頃まで
訪城の記録 記念撮影

 たまにはメジャー志向も
 今回の京都遠征では唯一城郭本などに掲載されているそこそこ著名な城跡で、内濠の一部(西側と南側)および天守台などの石垣遺構が残存する城址公園です。周辺は宅地化が進み石垣自体にも各所に痛みが散見されましたが、中心部分のみとはいえ近世城郭としての雰囲気が伝わってきます。
 なお、ここで白ネコの城ネコさんと恒例の御対面。残念ながら以前に訪れた大坂城や山形城ほどには懐いてはくれませんでした。とはいえ脱兎のごとく逃走もされず、石垣上の植込みの中でじっと気をころしていました。

 さてこの時点で昼食や京都駅までの往復時間を考慮し、最後までキープしていた徒歩往復で約6kmの勝龍寺城を泣くなく計画より除外。 単独行ならばそのまま昼食抜きで歩きぬくことも考えておりましたが、同行者(家内)もあり、足の方の痛みを癒えずタクシーも見つからず断腸の思いで断念することになりました。

( 2011/05/01 )記述
淀城西側の内堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
淀城西側の内堀
( 2011年4月13日 撮影 )
訪城アルバム
淀城の天守台石垣 ⇒ 画像クリックで拡大
天守台 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 天守台石垣(画像1−1)
 西側の石垣上から大きく手を伸ばして撮影したものです。内濠に面した石垣は西側南側を問わず全体的に経年変化に伴う石材の劣化が見られ、部分的に浮き石もあるようでした。右側の細長い建物は京阪淀駅です。
凸2 天守台(画像2−1)
 天守台を北西方向から撮影をしたものです。天守台の内部については、この時点で立入り禁止措置がとられておりましたので詳細を確認できていませんが、画像右手の天端の石垣の一つが剥落しておりました。

石垣への登り口 ⇒ 画像クリックで拡大
城址碑 ⇒ 画像クリックで拡大
凸3 石垣への登り口(画像3−1)
 桝形状に区画構築された天守台へと続く石段部分。
凸4 城址碑(画像4−1)
 本丸址西側塁壁下に所在する城址碑。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ)
「近畿の城(探訪ブックス日本の城5)」(1989/小学館)
「新装版日本城郭事典」(鳥羽正雄 著/1995/東京堂出版)
「日本の名城・古城ものしり事典」(1992/主婦と生活社)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「中世・戦国 江戸の城」(2004/新人物往来社)
「城郭みどころ事典 西国編」(2003/東京堂出版)
「江戸三百藩 城と陣屋総覧 東国編」(2006/学研)
「日本の城」(2009/山川出版社)

■郷土史・歴史
「日本史諸家系図人名辞典」(小和田 哲男 監修 2003/講談社刊)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「鳥羽伏見の戦い−幕府の命運を決した四日間−」(野口武彦 著/2010/中央公論新社)

■その他
オフィシャルサイト「京都観光ナビ」

・2011年5月 1日 HPアップ
・2019年6月27日 画像ズレ補正
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