凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)
■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)※明治期に編纂された「新編常陸国誌」を引用し、天正年間に若柴氏が居城したものと記されているが、その出典は不明である。
■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)
「龍ヶ崎市史 中世編」(1998/龍ヶ崎市)
「龍ヶ崎市史 中世資料編」(1993/龍ヶ崎市)※「源姓岡見氏系図」/「土岐氏系図」を収録
「龍ヶ崎市史中世資料編別編2 龍ヶ崎市の中世城郭」(1987/龍ヶ崎市)
「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。
「東国闘戦見聞私記」(1907初刊7/1997復刻/常野文献社)
岡見頼勝の活躍が記されているが、軍記物としての性格上史料としての評価は低いとされている。
天文23年から慶長(徳川氏支配初期)までの常総地域における合戦について、下野の戦国武将皆川広照と大道寺友山(⇒寛永16年生まれである後北条氏重臣大道寺政繁の曾孫なので現実にはあり得ない)が物語った内容を纏めた一書を、江戸時代の講釈師である神田仁右衛門尉貞興志融軒(かんだ じんうえもん さだおき しゆうけん?)が、故あって譲渡されこれを40巻に編纂。さらに刊本の校訂者である吉原格斎の外祖父の門人である増田某から譲り受けたという、甚だ複雑怪奇な経緯が記されていることが示すように、当初における成立過程に大きな疑問を抱かざるを得ない。またその文体は些か異なるが、当該内容については「東国戦記実録」と概ね共通するものとなっている。
・2011/10/24 HPアップ
・2019/06/16 画像ズレ補正
|