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茨城県竜ケ崎市の城館索引へ戻る 宝泉寺境内 宝泉寺城のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
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所在地
 茨城県龍ヶ崎市泉町字宿屋敷
歴史、人物、伝承

東条泉氏の居館跡か
 霞ヶ浦へと注ぐ小野川南岸の低台地に占地した東西50m×南北60mほどの小規模な方形館跡である。
 近年まで残存していた方形遺構は宝泉寺の寺構えの土塁等とも考えられるが、同寺の寺伝によれば、弘治3年(1557)に土岐信濃守が建立したものと伝わっており、宝泉寺の創建に先行して居館跡が存在した可能性は十分にあるという(「龍ヶ崎市史 中世編」)。
 また「同書」においては、この地は東条泉氏の本拠地であることから初めに、東条泉氏の居館が存在し、16世紀半ばに土岐氏の庇護を受けた宝泉寺が創建された旨を示唆している。なお、土岐氏傘下の東条泉氏はその間に北西に隣接した泉城へと転出したものと推定している。

確認可能な遺構
 なし(概ね消滅)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年12月28日 13時00分から13時15分
訪城の記録 記念撮影

 平成10年頃の関係資料によれば、寺院の周辺には未だ小規模な方形館の土塁の一部が残されているはずでした。然し、訪れたときにはすでに大半のものは墓地の増設などに伴い消滅し、その痕跡すら窺い知ることができませんでした。
 強いてあげれば僅かに西辺の堀跡の一部に土塁跡の名残が所在してはいるのですが、これとても寺構えの土塁跡との区別がつきませんでした。  

( 2011/10/18  記述 )

宝泉寺城
宝泉寺城
( 2008/12/28 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)
「龍ヶ崎市史 中世編」(1998/龍ヶ崎市)
「龍ヶ崎市史 中世資料編」(1993/龍ヶ崎市)
「龍ヶ崎市史中世資料編別編2 龍ヶ崎市の中世城郭」(1987/龍ヶ崎市)
「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。

・2011/10/18 HPアップ
・2019/06/16 画像ズレ補正
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