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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/17のブログ
所在地
 福島県須賀川市森宿字坪の内
歴史、人物、伝承

岩瀬氏関連の城館という通説
 阿武隈川左岸の段丘上に立地し、東側は比高差30m前後の断崖で登攀は不可能。南北方向も細長い地形であることに加え一定の傾斜を有することから天然の要害を形成しています。しかし西側部分については緩斜面が続くことから、大がかりな二重土塁および空堀などの防御施設は主に西側部分に集中しています。北側と西側には住宅地が広がっていますが、神域に囲まれているため奇跡的に残存している遺構です。別名を「御所宮館」ともいうようです。
 「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」、「日本城郭体系 3」などでは、何れも築城時期を鎌倉期とした上で岩瀬氏関連の城館跡としての可能性を示唆しています。しかし、空堀と土塁のスケール、および折りが施された構造、遺構としての保存状態などの観点から観察した場合には、後世の改修が為されていると思われるような節も見受けられることから別の可能性の存在も否定できないものと思われます。
 また館主についても、その館の名称からは応永6年(1399)鎌倉府が派遣した2人の奥州公方である稲村公方(足利満貞)、篠川公方(足利満直)などとの何らかの関わりが浮かぶようにも思われますが,勿論あくまでも根拠の乏しい憶測の域を出るものではありません。

確認可能な遺構
 郭、二重土塁、空堀、腰郭、小口ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年6月17日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/06/17 )
 暑さと薮蚊と蜘蛛の巣と
 天気予報では曇り時々晴れのはずが、昨日に続いて本日も朝から上天気。一般に建造物の写真撮影には恰好の訪城日和でありますが、土塁と空堀の中世城館遺構を記録するには誠に不向きなのであります。鬱蒼とした木々の間から覗く強烈な太陽光がデジカメ画像にまだら模様を施してくれるのであります。とはいえ雨模様は論外としても、薄暗い曇天もシャッター速度や絞りの関係で被写界深度に難点が。こうした経験上から土塁・空堀遺構の撮影の場合にはもっとも好都合なのが、桜の咲く頃の花曇りのような天候が相応しいようです。
 
 さて「日本城郭大系」によれば、岩瀬氏との関わりが想定されるものの歴史的な背景は不明とのことで、当初は越久館同様に全く期待しない城館の一つではありましたが、結果的に時間をかけて執拗に捜索した甲斐があったのでありました。見どころは何といっても郭西側の大がかりな二重の土塁と堀跡。特に内側の土塁の高さは最大8mに及ぶ個所もあり、堀幅も上面で10mから15mはあろうかという規模。なお残念ながら西端の空堀跡は宅地化などにより概ね消失したものと思われ、また西側と南側については、繁殖力旺盛な草木の繁茂のためこの時期に安易に踏み込めるような状態からは程遠く。

 「二の郭」とされる平場には以前の伐採による切株が各所に点在。北側にカーブした内側土塁には近年の伐採時期と同時と推定される切断削平された跡も生々しく。そうはいうものの炎天下の切株は薮蚊やヘビの襲来もなく絶好の昼食場所で、すぐ近くのコンビニで購入したサンドイッチにて腹ごしらえを。

 尤もこの場所にたどり着くまでには、情けないことに二度も場所を間違えた上に斜面で転倒し完全に横倒しに。それでも光量不足対策用の三脚付装備のデジカメだけはしっかりと支えておりました。幸い体の方も左側面が斜面と平行になっただけで打撲などの症状もなく皆無。この上体の頑丈さを足周りに配分できぬものかと思った次第なのであります。なお、後日よくよく資料を当たってみた所では、この場所が館跡の一部であったことが判明して転んでもただでは起きぬ幸運に感謝。市街地に隣接したこのような丘陵地帯にこれほどの遺構が残存しているとは夢にも思わず。無論この時期故の見落とし個所も多いことから、「越久館」と同様に然るべき季節に再訪する予定にリストアップ。

内側土塁 画像クリックで拡大します
主郭手前の腰郭から北側へ延びる内側土塁
明るめに撮影し編集で中間色のトーンを落とし僅かにコントラストを強調してみました。
( 2008/06/17 撮影 )
訪城アルバム
麓の居館跡付近 画像クリックで拡大します
搦手の遠景 画像クリックで拡大します
凸1 南麓の居館跡
 3段に分かれているとされる平場の内の1段目(手前)と2段目(奥)。はてそれでは3段目は何処に、はたまた丘陵へと続く道は何処に...などと地形を確認している最中にものの見事に横転を。
 小さな石祠は大山祗神(オオヤマズミノカミ)を祀る大山祗神社のもの。山の神であるとともに武門の神でもありますが、城館跡との関連は何処となく希薄なように思われたのであります。なお、この奥の方(北側)と左手の方(西側)では、既にすぐそこまで宅地開発の波が迫っておりました。

居館跡西側の堀跡状の溝
やや目にすることの少ない「白花庭石晶」

凸2 顕国魂神社への参道
 二重土塁と空堀に守られた西側が大手とすれば、この南側の参道が搦手に相当するのかもしれませんが、この登り口を見つけるまでに30分ほどの時間を要したのであります。顕国魂神社の大鳥居も木の陰になっていたため、肝心の参道自体の存在になかなか気づかなかったという次第で。
 なお厳冬期ならば別ですが、それ以外の季節はこの参道からアプローチする以外にありません。一応は西側の住宅地からアプローチを試みたのでありますが、草木に視界を遮られ前が見えないのでありました。

日中でも森閑とした佇まいに些か躊躇を
苔むした石段と東側の急斜面
判読の難しい磨崖板碑群(たぶん)

主郭南側の腰郭 付近 画像クリックで拡大します
内側土塁と空堀跡 画像クリックで拡大します
凸3 腰郭と社殿
 腰郭状の平場と主郭となる社殿の所在する平場。この参道の両側の地形を確認したいところでありますが、踏み込みたくとも足元が見えず断念を。なお向かって右手は断崖を形成し、おそらく左手には谷が入り込んでいるものと思われます。

南側の小口状の地形
二の郭側から見た内側土塁
凸4 内側土塁と空堀
 内側土塁は総延長にして100m前後で、出枡に近い形状の折がつけられています。郭内側から土塁を観察したいところですが、先も足元も見えずあっさりと断念を。
 堀幅は上面で10mから15m、堀側の土塁の高さは約6m前後の規模があります。

記念撮影画像の土塁を反対方向から撮影
内側土塁と空堀

仮称三の郭の平場から眺めた空堀と内側土塁 画像クリックで拡大します
内側土塁の北西角部分 画像クリックで拡大します
凸5 外側から見た内側土塁
 内側の土塁は6月中旬という季節にもかかわらず、ある程度明確に形状を把握することができます。

少し位置を変えて撮影
 
 これに対して外側の方の土塁については、肉眼で現存していることは判別できてもデジカメではこのような藪の塊となり果てるのであります。
 100mほどの距離なので、もう少し先へ進んで住宅側へ出ようと試みたものの、前進を阻む大量の薮蚊、蜘蛛の巣、体の自由を奪う木々の枝に加えて足元の危うさ..

外側の土塁
⇒説明がないとただの藪と思われる外側の土塁
⇒比較的分かりやすく写せた外側の土塁

凸6 内側土塁北西隅
 恰も櫓台の存在を彷彿とさせるような規模で、この部分での堀底からの高さは優に7m前後を測ります。

この道を下ればたぶん鐘衝堂ないしは居館跡方面に出られるかも知れないのですが、その先が藪で皆目視界がなく委細不明。

⇒堀底に降りて撮影した空堀
⇒南側から撮影した空堀
⇒反対に北側から撮影した空堀

⇒前進することをを躊躇う外側土塁脇の所から堀底道ないしは谷へとつづくルートですが、10mさえも進むことは不可能なのでありました。
 

北側の二の郭より主郭を望む 画像クリックで拡大します
阿武隈川 画像クリックで拡大します
凸7 内側土塁の切断部分
 画像の向かって右側に切断された土塁の断面が所在しています。正面の段差は二の郭と思われる平場。なお、左側には土塁の残りの部分が存在し崖線まで続いています。

⇒土塁にしては幅1m足らずと狭すぎる二の郭東側土塁状地形で、恐らく伐採時に何らかの改変が加えられているのかもしれません。

凸8 阿武隈川中流
 中通りは何処に行っても必ずこの阿武隈川に出会うことが多く、北、または東側へと蛇行を繰り返しつつゆったりとした表情をを見せておりました。
 この流れの両岸で数多の戦乱が起こり、それにより滅亡した一族も少なくないことを考えますと感慨深いものがありました。
交通案内

・顕国魂神社境内の周辺

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「ふくしまの城」(鈴木 啓 著/2002/歴史春秋出版)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)、

郷土史関係
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)、「須賀川市遺跡地図」(1998)

その他
「八百万の神々」(新紀元社)

・2008/06/29 HP暫定アップ

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