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素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2016/11/14のブログ 
所在地
 福島県郡山市喜久田堀之内字堀ノ目、字秋殿前
歴史、人物、伝承

安積伊東氏の故地とも
 「室町期南奥の政治秩序と抗争」(垣内和孝氏/岩田書院)によれば、「相生集」に登場する堀ノ内館の比定地のひとつとも示唆されています。このことから大雑把に見当をつけて訪れてみましたが、たまたま周辺部ではいままさに圃場整備と思われる一大土木工事の真っ最中でした。
 なお詳細な事情については把握しておりませんが、当地については「まほろん」(福島県文化財データベース)「埋蔵文化財包蔵地マップ」(郡山市役所公式HPから)「福島県の中世城館跡」「日本城郭大系」などには掲載されてはおりません。

確認可能な遺構
 なし(国土地理院航空写真に堀跡状の地形が撮影されている)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2016年11月14日 午前7時25分から7時35分
訪城の記録 記念撮影


 ぎりぎりセーフ
 月日の経過は早いもので、あっという間に2015年10月の訪問からはもう1年が過ぎてしまいましたが、通算4回目となる郡山市の探訪です。この年は岩手県南部や秋田県横手市方面などの遠隔地に出向いていたこともあるのか、福島県内の遠征は比較的中距離にさえ感じるようになってきました。事実自宅の最寄りインターから目的地のインターまでの走行距離も僅かに230kmほどですので、たしかにさほどの距離感を感じないのも当然かもしれません。
とはいえ10月下旬からひきはじめている風邪の症状も思わしくはないことから、今回遠征の決行判断はギリギリの前々日まで保留していました。けれども、ここでこのまま出向かないとなれば、例年の傾向に倣い今年の冬もそのまま微動だにしない可能性も濃厚になるものと考えられたことから決行に踏み切りました。体調は元気な時の半分もないことから、途中で羽生、大谷、安積で長めの休憩をとり、高速では時速80kmで低速走行に徹することとして、普通3時間少しのところをなんと5時間以上を費やして郡山インターへと到着しました。
 さて現地では 圃場整備などの地理的環境の変化については、まさに時間の問題ではありましたが、幸いにして堀之内と推定されている辺りには、未だ工事の仮杭が施工されているだけで、いちおうぎりぎりで従来からの耕地としての景観が保たれておりました。
当地は阿武隈川支流の一つである藤田川の北岸に所在しており、北側にもさらにその支流が東流し南北を河川に概ね挟まれた低台地(河岸段丘のひとつ)を形成しています。
中心部の字名は掘之目と考えられ、東側の宅地付近が秋殿前で、南部の5mほどの崖線下には欠下(がけしたの意からの転訛か)という字名も残されています。
 「相生集」によれば、伊東信濃守邦信、弥左衛門邦政という安積伊東氏一族に繋がる人物の名が記されているということですが、その詳細は不明の模様です。(※訪れた当時は、たまたま2か月前から開始された郡山市立図書館の耐震工事の最中でしたので郷土資料関係の資料閲覧が休止されておりました)
朝方のやや厚めの雲から時々朝日が差し込む微妙な按配の天候でしたので、やや画像全体の色調バランスが崩れています。

( 2017/01/19 記述)

南辺付近の様子 ⇒ 画像クリックで拡大します
堀之内南辺付近の様子
( 2016/11/14 撮影 )
訪城アルバム
南側から北辺付近の様子 ⇒ 画像クリックで拡大します
北辺付近の様子 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 南側から北辺付近の様子
 画像左側が堀之内の北辺で、この北側(画像右側)はこのように掘削工事がすすみ既に従前の景観は失われておりました。
凸2 北辺付近の様子
 ビニールハウスと手前の耕作地が概ね堀之内の北辺付近に相当するようです。

堀之内の南東付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
字堀ノ目の東側から「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 堀之内の南東付近
 画像中央付近の小河川は阿武隈川支流の藤田川へとつづく用水路です。
凸4 字堀ノ目の東側から
 堀ノ目の東側から南西方向を撮影したもので、この時点では区画形質の変更はすすんではおりませんでした。

堀之内交差点 ⇒ 画像クリックで拡大します
国土地理院航空写真 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 堀之内交差点
 いちおう「堀之内」の地名が記された信号機です。国道49号線と県道29号線が交差する交差点で、喜久田堀之内館の北約600mの地点に所在しています。
凸6 国土地理院航空写真
 国土地理院航空写真USA-R1172-105から加工したもので、東西に2つの方形の堀跡と郭跡らしい地形が確認できます。
在日米軍により1948年3月26日撮影、撮影高度は2438mとなっています。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図
凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)掲載なし
・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)掲載なし
・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし

歴史・郷土史関係等
・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)掲載なし
・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)
 ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している約40か所の城館跡について略述しているがこの堀之内についての記述はありません。
・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
・「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市)
 ⇒ 「相生集」からの引用だが、「堀之内館」の城館主として伊東信濃守邦信、弥左衛門邦政という安積伊東氏一族に繋がる人物の名が記されるが堀之内の所在地に関しては明記してはいない。
・「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市)掲載なし
 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。
・「郡山市史第1巻通史編」(1975/郡山市編)記載なし

史料、地誌
・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)記載なし
 「館 里老伝に云々」との記述があり、近世に編纂された地誌に僅かに伝承が記されている。
・「文禄3年(1594)蒲生領高目録」(「郡山市史8資料編」より)
・「郡山市史第8巻資料編」(1973/郡山市編)記載なし

その他(データベース、関係著書)
・福島県文化財データベース「まほろん」掲載なし
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」掲載なし
・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 274頁から276頁にかけて記述がある。
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。田村氏に関しては「田村家臣録」「田母神氏旧記」に関連して、田村氏の家臣団とその関連する城館についての考察がある。


・2017/01/19 HPアップ
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