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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/17のブログ
所在地
 福島県須賀川市雨田字蔀久保
歴史、人物、伝承

佐藤石見の居館とも
 「日本城郭大系」では「須賀川市史」などの記述を引用し佐藤石見の居館であることを示唆しています。縄張り図によれば、単郭の主郭部分の規模は80m×50mほどの削平されたやや不整形な方形を示しています。
 「日本城郭大系」掲載の縄張り図によりますと、最高地点は標高316.5mで、西側水田地帯の標高がもっとも低い個所では277.8mとの記載が。とすれば最大比高差は40m近くにもなる計算ですが、さらに電子国土の等高線では最高地点の標高は320m以上を示しております。
 尤も東側では平地との比高差は25mほどと小さく、さらに北側は丘陵続きのため比高差は20m足らずという状況です。このため地形上の弱点については、明らかに北側部分ということになる模様であります。
 また縄張り図では地形上の特性を踏まえて北西側の小さな谷を水の手と推定しておりますが、これとは別に主郭内部に井戸の存在を想定したいところです。

確認可能な遺構
 郭(単郭)、土塁、小口、切岸?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年6月17日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/06/17 )
 魅力的な独立丘陵
 須賀川市雨田地区の小字蔀久保に所在し、西側の水田面から比高差にして最大35mほどの独立小丘陵を形成する平山城で、縄張り図等からは単郭で土塁、小口が残るととの事前情報。日没までは未だ2時間以上もあるとはいえ、思いのほか規模も大きく木々の緑の深さとアプローチなどの諸問題もあることから、指をくわえて遠望するだけに留めました。
 手前の水田が階段状の谷津田となっており、丘陵の南側を回り込んで西側へと続き一段ずつ低くなっていくという地形を構成しておりました。こうした地形に周囲を囲まれて防御機能の一翼を担っていたということも想像に難くないのかもしれません。
 また、雨田という地名が示唆するように元来は天水に頼っていたものと推測されますが、現在は各所に灌漑用水池が点在していました。こうした光景は特別のものではなく、中通りの丘陵地帯の集落では随所に見ることができます。従って中通りの丘陵地帯に所在する中世城館跡について、目星をつけるヒントの一つになるのかもしれません。
 

石見館の全景 画像クリックで拡大します
南東からの全景
( 2008/06/17 撮影 )
訪城アルバム
南東の取り付け道路手前からの全景
東側からの全景 画像クリックで拡大します
凸1 南東からの全景
 道路の突き当たり部分と主郭の比高差は多く見積もったとしても20mはなさそうな印象でした。
 この周辺には同様の地形をした小丘陵が付近だけでも5か所以上も点在。このため事前の下調べの段階ではどの場所なのか確証が持てず仕舞い。しかし現地に近付いた途端に、これしかないと確信。それほどに分かりやすい魅力的な独立丘陵なのでありました。
凸2 東側からの全景
 向かって右側の尾根筋に明らかに道が見えるようにも思われました。しかし地形上から観察する限りは、どう見ても許諾なしに訪れることは常識はずれであることが明白。加えて夕刻という時間帯であることも考え今回は所在地と周辺地形の確認のみでスルーすることに。
 何れにしましても遠望のみでしたので、更に資料を収集した上でこの秋以降の再訪を考えております。
交通案内

・県道138号線東側の丘陵地帯

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)

郷土史関係
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)、「須賀川市遺跡地図」(1998/同市教委)


・2008/06/30 HP暫定アップ
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