アクセスありがとうございます。ホームページづくりの日記のようなものです。ほとんどパソコン音痴の素人の失敗談ですけど................
 
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・2004年10月31日    堀込の大法寺館UP

 珍しいことに都内まで観劇に出かけました。森光子主演の「おもろい女」の千秋楽公演です。自分の母親と同年齢とは思えない身のこなし方、台詞回し....昨年の「放浪記」に続いての舞台鑑賞でした。戦前の関西を舞台に活躍し、戦後間もないころ36歳の若さでこの世を去ったミス・ワカナという漫才師の物語です。
千秋楽公演ということもあり約800席の劇場は満員札止め、寿司詰め状態でありました。観客の年齢層は60歳台から70歳台の方が目立ちました。通常こうした舞台演劇の観客は女性が多いのですが今回は男性も熟年から高齢者のかたも少なくなくありませんでした。
 出演者の挨拶のなかで、森光子は今年の自然災害についてのお見舞いの言葉を述べた後に、今月23日のときの地震の時のちょっとしたエピソードを語りました。演劇の行われている芸術座は築50年の老朽化した建物で、何度かの改装を経て現在に至っているものの、設備等の近代化のため来年3月末で取り壊され新しい施設が建設される計画となっています。その老朽化した建物で地震の発生したのですから、観客がざわついて立ち上がってしまい、混乱する気配をみせていたとのことです。古い劇場ですので狭い急な階段もあり、高齢者の多い観客が殺到した場合には大変なことに。
 彼女自身、舞台公演中に地震が発生したことは10回以上経験しているとのことで、落ち着いて「これぐらいの地震は経験上大丈夫です。地震だけに自身があります」と、あの通る華やいだ声で語りかけたとか。その一言で観客が落ち着いたそうで、こうした場合に観客を落ち着かせることも仕事のうちであると日頃から肝に銘じているそうです。さすが大女優の貫禄であると改めてその演技とともに感心した次第です。
 帰宅後に堀込の大法寺館UPしました。




・2004年10月30日    子猫は外泊中

 飼い主が金曜日から修学旅行のため不在で子猫は近所の友達の家に預けられている。おとといの日に矢鱈に痒がっていたので、娘と二人で嫌がるのを無理やり風呂に入れた。聞けば10日以上も風呂に入れていないらしい。
 二階の階段を下り始めたらすでに察知したらしく、もがき逃れようと懸命に暴れだした。そうは行かぬと、しっかり抱きとめて風呂場に連れて行ったらだんだんとパニック状態になってきた。それでも洗わないわけには行かないので、後ろからしっかりと抱きかかえ、洗面器にお湯をいれ石鹸をつけてシャワーで流しながら何とか入浴を完了した。終わってみれば本人もさっぱりしたらしく、大人しくタオルで拭かれていた。
 そのときの泣き声はもう立派に「にゃー」と聞こえたように思う。聞けば体重も800gになったらしい。連れてこられたときは、ろくに声も出なければ膝にも上れなかったのに。やはり動物の成長は早いもので、右が入浴後の写真です。






・2004年10月29日    振替休みの訪城
           

 予定通り今日までは天気もよいので、坂戸市方面へ遠征。「法音寺」⇒「小島氏館」⇒「青木堀の内」⇒「青木の不詳の構堀」⇒「堀込の城跡」⇒「大法寺館」⇒「三福寺館」⇒「大河原氏館」の順で訪城。このうち法音寺はついでに再訪城。堀込の城跡と大法寺館は宿題の整理。三福寺館もついでに。青木堀の内は車で走っていて気がついたのでそのついでに、とやたらついでが多い訪城の一日でした。
 しかし坂戸市というところは、このようにど素人の自分のようなものでも一見すれば分かるように、異常なほどに中世城館跡が集中している地域であり、その中でも青木地区周辺、堀込地区周辺は夥しいものがあります。青木では住吉中学校を中心として半径500メートルに7ヶ所以上、堀込周辺では小山交差点を中心として同様に7ヶ所以上。これでは行政側の調査、保全の動きが鈍いのはある意味で理解できます。ただでさえ人手が無い、予算が無い、保全に向けての法律的なバックアップが弱い、文化財に対する理解・認識が希薄という状況の中で、日々考古学的な埋蔵文化財の調査・発掘・整理・報告に追われていることと考えられます。たぶん要するに行政サイドから見ても中世城館跡の数が多すぎて、実感として希少価値があまり感じられないということなのではないかと思います。ただ行政サイドが手を拱いている間にどんどん現状の区画形質が変更されていくのを見ているのは悲しいものです。せめて、埼玉県人の一人としてその姿だけでも記録して公開することにより、文化財の保全についての関心や理解を呼びかけていこう思ったのでありました。




・2004年10月27日    子猫に嫌われた

 昨日全くご機嫌伺していなかったもので、子猫を構いにいったら警戒されてしまった。こちらのほうに向かって、用心深く上目遣いに匍匐前進で少しずつ近づいてくるのですが、途中からものすごいスピードで逃げ出すように走り去り、カーテンの脇から半分だけ顔をのぞかせる....。そんな行動を3回以上も繰り返したでしょうか。地震のときあんなに構ってやったのに、やっぱり猫は恩知らずだと改めて思いました。
 しかし、まてよ。確か一昨日、猫が足元の近くにいるのが分からずに少し足先が猫に当たったのを思い出した。ということは、しっかりとその時のことを相手は覚えているわけで、それならば今日の異常な行動の理由が分かるわけで。要するに根にもたれたわけで。恩知らずではなく、危険回避の行動ということだったのです。本当にすまぬことをした(^^;
 金曜日に振り替えの休みが取れそうなので、坂戸市方面をうろついてくる予定です。前回の訪城で未確認の宿題もありまして。




・2004年10月25日    祝20訪城達成

 20箇所目の訪城覚書をHPにUPしました。思えば良くぞここまできたものだと、自分で自分を褒めてあげたい.....というほどのものではないですが、この間パソコン自体のトラブル、パスワード亡失、ルーターのトラブルなどさまざまな難題を乗り越えてきたことは確かなようです。
 おかげさまで相手先からのリンクも11サイトとなり、アクセス件数も当初の予想より増えており大変な励みとなります。このような内容の乏しいマイナーな弱小サイトをご覧いただける方がいらっしゃるということは、大変ありがたいことであると衷心より感謝申し上げます。とりわけお城MLの皆様にはサイト開設以来、大変お世話になっております。今後ともよろしくお願いいたします。




・2004年10月24日    イベント終了

 本日は朝7時から資料館まつりというイベントの準備と運営・来賓受付・オープニングセレモニーの司会・苦情処理・特別展図録販売・後片付け・リサイクルコーナーの点検・地元の老人会の慰労会のお礼の挨拶・最終的な点検確認......午後6時終了と、もう体はよたよたで(年のせい)、あまり頭が回りませんので(元々ですけど)日記が書けません。
 そういうわけで子猫ネタでいくと、昨日の地震の後ポミの様子を見に行ってみたら、飼い主が出かけていたのでかなり怯えていて、部屋に入ったら何時もは呼んでも来ないのに勝手にひざの上に乗っかってきて、丸くなって眠ろうとしていた。うーむカワユイことをする奴じゃと、しばらく好きにさせていた。




これはそのときの写真。眠いので目が半分しか開かない。このあと、目やにのお掃除を。



 なかなかひざの上から動こうとしない。仕方がないので、顔だけ出して毛布にくるんでおいてきた。悲しそうな目つきをされてしまった(^^;

  



・2004年10月23日    中越地方の地震

 それにしても今日の地震は埼玉でもよく揺れました。震源地に近い新潟中越地域にお住まいの方、衷心よりお見舞い申し上げます。  1回目の地震があったときは、ちょうど明日のイベントの準備が終わり、やれやれ、さあ帰ろうとしていたときでした。最初は疲れていて頭がふらふらするのかと思っていましたら、いきなりグラグラッと来ました。埼玉県南地方は震度は3から4というところでしたが、体感としては横揺れがかなり激しかったように思いました。  しかし、職業意識というのは地震とときもきちんと現れるようで、一人の学芸員などはかなり揺れている最中に収蔵品は大丈夫か!と、天井照明やガラスだらけの展示室に駆け込んでいきました。一応縄文や弥生の貴重な出土品が展示されているもので。ま、もちろん被害はありませんでしたが。博物館とか資料館というのはあまり表面には現れませんが、当然のこととはいえ、あらためてこうした学芸員のプロ意識により運営されているのだなあと実感した次第です。 。




・2004年10月22日    700gに増量

 名前はポミという。あっ、例の子猫の名前です。もともと言語不明瞭な方なので、呼びにくいことこの上ない。ポミーと伸ばせば良いのだろうけど、軽薄な感じもするし....。それの体重が700gに増えたという話です。




・2004年10月21日    トップページのロゴ作成

 トップページのレイアウトの変更作業を継続し、プンプンソフトさんのフリーソフトを使用してタイトルロゴを作成しました。ちなみに背景の画像は田波目城です。
 やっと田波目城をUP。時がたつほど撮影した写真の記憶が薄れていくのが怖い(^^; あとまだ4箇所もあるというのに.....。子猫を少し構ってやったっていうか構われてもらった。「みー」という鳴き声が、気のせいか「みにゃー」という感じになってきた。




・2004年10月20日    トップページの写真の模様替え

 トップページのレイアウトを少し変更。写真も入れ替え。大して理由はありませんが。このところリンク関係を追加していたので、訪城覚書の編集が進まない。しかし、テーブルを使わないとレイアウトは本当に面倒くさい。などといいながら何とか作業終了。
 昨日面白がって子猫をかまいすぎたら引っかかれた。悔しいので写真は撮らなかった(^^; でもかなり大きくなってきたような気がする。そのうちに再登場の予定。
 今日はこれからなんとしても、田波目城の覚書をおおむね完成させよう。




・2004年10月18日    今日も天気だ、訪城だ
           

 土日と仕事で動けず切歯扼腕状態でしたが、今日までは天気が良いので何はともあれ訪城へ出発。「田波目城」⇒「浅羽城」⇒「堀込地区の館」⇒「三福寺陣城」⇒「大法寺館」の順番で。いつもはさしたる理由もなく慌しく廻っていましたが、今回はじっくりと時間をかけて訪城しました。しかし残念ながら、遺構が確認できるほどに残っていたのは「田波目城」「堀込地区の館」の2ヶ所だけで、他の2ヶ所は元々余り期待はしていなかったのですが、「大法寺館」はごく最近まで残っていた北側の土塁も墓地の拡張のために大半は消失したようです。それでも、北側の民家にそれらしき姿をとどめている土塁状のものは確認できましたが。「三福寺陣城」は北側の墓地の辺りに土塁状の遺構があることはありますが、墓地の整備によりいずれ完全に消失する日も近いようです。どうも坂戸市の中世城館跡は保存されにくい運命にあるようで.....(^^;
 「お城ネットワーク」さま、「歴史ネットワーク」さま、「さいたまの歴史散歩」さま、「埼玉史跡データベースDB310」さまをリンク追加。ご協力ありがとうございました。




・2004年10月17日    飼主もどる

 昨日子猫は娘の布団の上で、毛布に包まって大人しく寝ていた。子猫用のミルクの場所が分からなかったので、娘に早く帰ってくるように連絡したら本当にすぐ帰ってきたらしい。子猫の方も飼主が分かるのか娘によく懐いていて、膝の上が居心地がいいらしく、こちらに連れてきてもすぐに移動してしまう。つれてきた時はあばら骨が浮き出ているような感じだったが、50gぐらいは太ったらしい。


 腕に抱かれて顔だけ出して....



・2004年10月16日    飼主不在

 飼主が不在のため代役で子猫の親代わりをする羽目になってしまった。といっても一晩だけだけど。真剣な表情をして子猫用のミルクをぴちゃぴちゃと音を立てながら飲んでいるというよりもなめている。懸命に生きようとしている動作がたまらなくかわいく見える。
 参考資料のページを訂正。テーブルにして、五つのジャンルに分けました。ボタンはいつもお世話になっているプンプンソフトさんのバナー簡易作成ソフトを使用させていただいた。
 「群馬の城郭」さん、「城めぐり.COM」さんリンク追加。ありがとうございました。



 部屋の外に出たいのだけれども通せんぼされて途方に暮れている..... 



・2004年10月15日    子猫の冒険

 帰宅すると家内が屋根の上で白と灰色の小さな猫が鳴いていたという。間違いなく娘の拾ってきた猫である。ろくにテーブルの上にも上がれないくせに、二階のベランダから一階の屋根に出たらしい。落ちたらたぶん命がないというのに.....。写真を撮ろうと思うのだが、なかなかじっとしていてくれない.....。夜もう一度様子を見に行ったら、すやすやと幸せそうな顔をして、毛布の上で丸くなって熟睡していた。うーむ、すっかり子猫の育児日記になってしまった。
参考資料の表示形式を変更中。テーブル形式にして、ジャンル分けをするといった内容です。




・2004年10月14日    子猫の小道具を買出しに

 帰宅後、子猫の細々とした雑貨を買いに出かけた。買ったものはブラシ、おもちゃのボール、ミルク、えさを食べる食器、トイレの砂、消臭剤、ウエットティッシュ、えさなど〆て3852円。寒くなってきたので、体力をつけるために少し大きくしないと冬越しが危なそうなぐらい軽い体。骨と皮で生きているような感じがする。トップページを少しだけ変更って、写真を大きくしただけですが。もっともサムネイルの写真をクリックすると少しだけ違う画像が表示されますけど。




・2004年10月13日    山崎城UP

 娘が捨て猫を拾ってきて、部屋でこっそりと飼っている。体重を計測したら、550gしかない。生後1ヶ月くらいの子猫。ニャーオと鳴けずに、ミィミィと鳴いている。よっぽど寂しかったのか、娘の膝の上で大人しく安心した顔をして寝入っていた.....というのが昨日の話しです。家には猫嫌いが2人と、アレルギー性の喘息持ちが1名いるので、公然と飼うのは難しいが、2件の家を繋げて住んでいるため部屋数はあるので暫くは何とかなりそうだが、大きくなってくるとそうも行かないので.............。本日山崎城をUPし10月7日分の訪城のまとめが終了。




・2004年10月11日    山田城UP

 施設のメンテナンス立会いのため、訪城中止。しかし、メンテナンスも生憎天候不良のため中止となり、山田城を編集してUP。以前からカウンターの数値表示ががおかしいと思っていたらやっぱりおかしかったので、geocitiesのデータ解析を参考にして一部訂正しました。無料レンタルカウンターとどちらを信用するかといえばホームページのサーバー側だと思いますけど.........一応。
 鉢形城歴史館が開館するので来月あたり仕事込みで行ければベストなんですけどね。取りあえずは今月の繁忙期を乗り切らないといけない。訪城は月末ぐらいまで多分一時停止です。




・2004年10月10日    羽尾館、谷城UP

 羽尾館(堀の内)と谷城の訪城覚書をまとめたのでUP。「谷城」は年末の「訪城収め」として、もう一度行くつもりです。完全に落葉して、霜が降りる季節になれば藪が酷いとはいえ、もう少し身動きが取れそうに思うので。眺望も杉林の間から多少はありそうな気もします。山田城、山崎城方面が実際にどのように見渡せるかを体験してみるつもりです。
 仕事で久しぶりに40通の手紙の宛名書きをしたもので、今度は右手がしびれてきてしまった(^^; 招待状という性格上、パソコンでラベルプリントする訳にもいかないので。その分、左側の痺れが軽くなったような(^^) 明日は、滑川町の残り3ヶ所を廻るか、坂戸市の予定している2ヶ所に行くか迷ってます。




・2004年10月9日    羽尾城UP

 参考資料に「飢餓と戦争の戦国を行く」(藤木久志著/朝日選書)を1冊追加。「村の城」「合戦の際の乱取(戦争奴隷)」など従来あまり注目されてはいなかった研究が進んでいるらしい。大分昔に日本史を専攻してはいたけれど、70年代の前半にはこのような視点の研究は殆んどなかったと記憶している。近世末期の比企郡羽尾村では戸数約180戸なので、人口社会学などの本から推測すると中世末期では多分この半分程度のはずである。羽尾七騎としての兵力は通常で20人足らず。戦乱の際にその大半が合戦にでているとすれば、大名の軍事組織ではない残る村の年寄り(有力者)たちによる土豪・地侍の家族を含めた自分たちの防衛体制がしかれて当然である。それが「村の城」ということならば至極当然のような成り行きである。滑川町にのこる中世城館跡の規模や数の多さを考えると、こういう考え方も面白いと思う。特に「谷城」などはピッタリのような気がしてならない。




・2004年10月8日    羽尾城UP

 羽尾城の覚書をUP。羽尾周辺にある集落の土豪・地侍層の集団を糾合しても、戦闘要員はせいぜいニ、三百人、子どもから年寄りまでの住民総出で二千人もいるだろうか。この兵力では上杉・前田の秀吉軍に半日と持たないことは明らかで、合戦の伝承は後北条氏の帰農した中小の在地領主たちの子孫の願望や、誇りが転じていったものなのかもしれない。
 台風が接近している。それにしても今年は台風の上陸が多すぎる。中世ならば間違いなく、凶作、飢饉、疫病そして戦乱へと繋がっていく。
 「村の城」に関する記述のある本を読んでいるので、小規模な館や城跡がみんなそのように思われてくる。戦国時代末期は内戦による戦争奴隷輸出の時代でもあったのだ。16世紀の終わりごろに東南アジア方面に日本人町が形成された背景には、こういう事情も少なからず影響していたらしい。一方、近世以降における被差別民層の社会的形成もこのことと深い関連があるのかもしれない。




・2004年10月7日    振替の休みで、いざ訪城へ
           

 振替の休みをもらったので、早速前回の続きとなる埼玉県比企郡滑川町を中心に訪城。秋の深まりとともに夕暮れの時間が早まってきたので、帰りの交通渋滞も考慮して訪城は遅くも午後2時半までと目標を立てました。訪城の順番は「羽尾城」⇒「羽尾館」⇒「谷城」⇒「山田城」⇒「山崎城」でした。無理すればあと2、3ヶ所いけますが、頭の整理がつかなくなるので、当初の予定の範囲内で訪城完了。
 このうち意外によかったのが最後の「山崎城」で、出桝形の土塁をはじめ思ったよりも空堀の状態が良かったのが印象的だった。「山田城」のついての付録のつもりだったが、これはかなりの拾い物という感じです。蜘蛛の巣と藪こきの最たるものが「谷城」で、道は全くないけど蜘蛛の巣と藪はいくらでもあるという状態で、やっぱり2ヶ月くらい早すぎたかと思ったけど、強行突入し遺構も確認できたのでそれなりに楽しかった。山頂の堀切や土塁も藪の中にしっかりと埋もれていて、藪こきとは正にこのことだと思いましたね。
 などど書いていると順調に訪城できたようにみえるが、実は最初の「羽尾城」の右折を行き過ぎて森林公園まで行ってしまい、順番を変えるのは悔しいので別の道から戻ってから向かったので15分ほどロスしている。さらに、てっきり表通りにあると思い込んでいたので集会所のあたりでしばらく右往左往してしまった。しかし、それ以外の場所は問題なく一発で到着........って、森林公園の中にある「山田城」や「山崎城」を迷っていたらかなりの方向音痴になってしまうわけで。「谷城」はあらかじめ相当分かりにくいと予想して十分に地図上の位置と周辺の地形を確認し、さらに森林公園で駐車してあえて徒歩で向かったのですぐに見当がついたというわけです。それらしい地形をキョロキョロと探しながら、ふと正面に眼に入った丘陵が正にそれだったというわけで。




・2004年10月6日    日記ファイル更新

 日記のファイルを更新。やっぱり思ったよりも時間がかかりましたが、前回と比べれば4分の1ぐらいの作業でした。月輪館をUPして、やっと先月末の訪城分の整理にめどがつきました。やっぱり後の整理に伴う自分の能力を考えると1回の訪城につき、3ヶ所程度が無難なようです。これでやっと訪城覚書も13ヶ所になりましたが、年末まで順調にいったとしても、なんとかあと30ヶ所というところでしょうか。
 1000ヶ所を超える訪城をしている諸先輩方は一体どういう日常生活をしているのかと思ったりします。明けても暮れても城跡、城跡、城跡..........という生活なのでしょうか(^^) 自分の場合にはまだそこまでの心境には到達できていないので..........明日は、また振替休みのため、比企郡滑川町周辺をうろつく予定です。ちなみに今月の中旬の土日は2週続けて、めいっぱいの仕事になります。はい。
 今年は相当休んだつもりですが、有給休暇があと35日と2分の1残ってます。20日までしか繰り越せないので、がんばって消化したとしても3日程度というところでしょうか。勤続32年なので計算上は480日分くらい休暇が消えていったということでしょうか。はあ〜




・2004年10月5日    300メガに増量

 GeoCotiesが有料の場合、今月末ぐらいから300メガに増量されるのが分かり、非常にうれしい。なんたってあと、14メガくらいしかなかったので、これは助かる。ひとつのサイトを複数のサーバーに分割する方法もあるけれど、リンク関係のパスの変更などやっぱりややこしい。息子は息子で自分のサイトを持っているので、お互いによかった、よかったと息子ともども喜びを分かち合った(^^)。
 アクセス解析システムも本日より稼動しているようで、カウンターも不要になる可能性がある。でも、訪問してくれた方に対するひとつの目安として、トップページだけにはひっそりと残しておく方法もありそうだ。ただ強いて言うと訪問者のIEのバージョンの解析データは多分正しくないような気がする。
 野本氏館UPし、12ヶ所の公開にこぎつけた。あと一箇所未整理の状態なので、できる所までやっておこう。では。




・2004年10月4日    小代氏館と野本氏館の遺構の再確認
           

 昨日は少し夜更かしをして、高坂館跡をUP。今日は雨が小降りならば出かけようと思っていたのですが、なかなか小ぶりにならない。資料の整理を進めつつ、東京電力の降水状況と雨雲の画像を見て、どうやら午後は2時間ほど曇りとまでは行かないけれども、小雨になることが予想できたので東松山方面に出動。どうも腑に落ちなかった小代氏館と野本氏館の遺構の再確認が目的です。野本氏館の方では具体的な収穫はありませんでしたが、消失した土塁の再確認ができただけでもそれなりに満足です。下校中の小学生たちが道端に落ちている栗のイガで遊んでいるのをみて、ふと今は成長した自分子どもたちの昔の小さかった頃のことを思い出し一人感慨に浸っていました。
 いずれにしても再訪城して正解でした。少なくても小代氏館<の方は僅かですけれど土塁が確認できました(^^)やっぱり疑問に思ったらもう一度行くべきであるということです。
 その後、自宅へ戻り小代氏館の訂正と野本氏館のまとめを行い、本日の作業終了。




・2004年10月2日    「法音寺館」の訪城覚書をUP

 「法音寺館」の訪城覚書をUP、といっている最中に左の方が痺れている........最近は痛みも伴ってきた。誠に困ったもので........(^^)
しかし我ながらマイナーなところばかり訪城すると自分で感心する。明日は健康のためにも天気次第ですけど午前中は滑川町方面をウロウロしてみようかと。




・2004年10月1日    左半身の痺れ

 ここ一週間ぐらい左手から背中にかけての痺れが治まらない。一応末梢神経の改善の薬とか、血流をよくする薬とか服用はしているのですが、ほとんど効果はないようです。朝起きた状態で左半身が痺れており、ほぼ一日中続いています。指の細かい動きを別にすれば、機能上の支障は殆どないのですが、どうにも困った状況です(^^)「住吉館」ほかの訪城覚書をUP。一週間に一度はバックアップをとディスプレイにシールを貼ってあるのですが、喉もと過ぎればの喩えどおりこれがなかなか........。



 
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