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・2004年10月31日 堀込の大法寺館UP 珍しいことに都内まで観劇に出かけました。森光子主演の「おもろい女」の千秋楽公演です。自分の母親と同年齢とは思えない身のこなし方、台詞回し....昨年の「放浪記」に続いての舞台鑑賞でした。戦前の関西を舞台に活躍し、戦後間もないころ36歳の若さでこの世を去ったミス・ワカナという漫才師の物語です。 |
予定通り今日までは天気もよいので、坂戸市方面へ遠征。「法音寺」⇒「小島氏館」⇒「青木堀の内」⇒「青木の不詳の構堀」⇒「堀込の城跡」⇒「大法寺館」⇒「三福寺館」⇒「大河原氏館」の順で訪城。このうち法音寺はついでに再訪城。堀込の城跡と大法寺館は宿題の整理。三福寺館もついでに。青木堀の内は車で走っていて気がついたのでそのついでに、とやたらついでが多い訪城の一日でした。 |
・2004年10月27日 子猫に嫌われた 昨日全くご機嫌伺していなかったもので、子猫を構いにいったら警戒されてしまった。こちらのほうに向かって、用心深く上目遣いに匍匐前進で少しずつ近づいてくるのですが、途中からものすごいスピードで逃げ出すように走り去り、カーテンの脇から半分だけ顔をのぞかせる....。そんな行動を3回以上も繰り返したでしょうか。地震のときあんなに構ってやったのに、やっぱり猫は恩知らずだと改めて思いました。 |
・2004年10月25日 祝20訪城達成 20箇所目の訪城覚書をHPにUPしました。思えば良くぞここまできたものだと、自分で自分を褒めてあげたい.....というほどのものではないですが、この間パソコン自体のトラブル、パスワード亡失、ルーターのトラブルなどさまざまな難題を乗り越えてきたことは確かなようです。 |
・2004年10月23日 中越地方の地震 それにしても今日の地震は埼玉でもよく揺れました。震源地に近い新潟中越地域にお住まいの方、衷心よりお見舞い申し上げます。
1回目の地震があったときは、ちょうど明日のイベントの準備が終わり、やれやれ、さあ帰ろうとしていたときでした。最初は疲れていて頭がふらふらするのかと思っていましたら、いきなりグラグラッと来ました。埼玉県南地方は震度は3から4というところでしたが、体感としては横揺れがかなり激しかったように思いました。
しかし、職業意識というのは地震とときもきちんと現れるようで、一人の学芸員などはかなり揺れている最中に収蔵品は大丈夫か!と、天井照明やガラスだらけの展示室に駆け込んでいきました。一応縄文や弥生の貴重な出土品が展示されているもので。ま、もちろん被害はありませんでしたが。博物館とか資料館というのはあまり表面には現れませんが、当然のこととはいえ、あらためてこうした学芸員のプロ意識により運営されているのだなあと実感した次第です。
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・2004年10月22日 700gに増量 名前はポミという。あっ、例の子猫の名前です。もともと言語不明瞭な方なので、呼びにくいことこの上ない。ポミーと伸ばせば良いのだろうけど、軽薄な感じもするし....。それの体重が700gに増えたという話です。 |
・2004年10月21日 トップページのロゴ作成 トップページのレイアウトの変更作業を継続し、プンプンソフトさんのフリーソフトを使用してタイトルロゴを作成しました。ちなみに背景の画像は田波目城です。 |
・2004年10月20日 トップページの写真の模様替え トップページのレイアウトを少し変更。写真も入れ替え。大して理由はありませんが。このところリンク関係を追加していたので、訪城覚書の編集が進まない。しかし、テーブルを使わないとレイアウトは本当に面倒くさい。などといいながら何とか作業終了。 |
土日と仕事で動けず切歯扼腕状態でしたが、今日までは天気が良いので何はともあれ訪城へ出発。「田波目城」⇒「浅羽城」⇒「堀込地区の館」⇒「三福寺陣城」⇒「大法寺館」の順番で。いつもはさしたる理由もなく慌しく廻っていましたが、今回はじっくりと時間をかけて訪城しました。しかし残念ながら、遺構が確認できるほどに残っていたのは「田波目城」「堀込地区の館」の2ヶ所だけで、他の2ヶ所は元々余り期待はしていなかったのですが、「大法寺館」はごく最近まで残っていた北側の土塁も墓地の拡張のために大半は消失したようです。それでも、北側の民家にそれらしき姿をとどめている土塁状のものは確認できましたが。「三福寺陣城」は北側の墓地の辺りに土塁状の遺構があることはありますが、墓地の整備によりいずれ完全に消失する日も近いようです。どうも坂戸市の中世城館跡は保存されにくい運命にあるようで.....(^^; |
・2004年10月15日 子猫の冒険 帰宅すると家内が屋根の上で白と灰色の小さな猫が鳴いていたという。間違いなく娘の拾ってきた猫である。ろくにテーブルの上にも上がれないくせに、二階のベランダから一階の屋根に出たらしい。落ちたらたぶん命がないというのに.....。写真を撮ろうと思うのだが、なかなかじっとしていてくれない.....。夜もう一度様子を見に行ったら、すやすやと幸せそうな顔をして、毛布の上で丸くなって熟睡していた。うーむ、すっかり子猫の育児日記になってしまった。 |
・2004年10月14日 子猫の小道具を買出しに 帰宅後、子猫の細々とした雑貨を買いに出かけた。買ったものはブラシ、おもちゃのボール、ミルク、えさを食べる食器、トイレの砂、消臭剤、ウエットティッシュ、えさなど〆て3852円。寒くなってきたので、体力をつけるために少し大きくしないと冬越しが危なそうなぐらい軽い体。骨と皮で生きているような感じがする。トップページを少しだけ変更って、写真を大きくしただけですが。もっともサムネイルの写真をクリックすると少しだけ違う画像が表示されますけど。 |
・2004年10月11日 山田城UP 施設のメンテナンス立会いのため、訪城中止。しかし、メンテナンスも生憎天候不良のため中止となり、山田城を編集してUP。以前からカウンターの数値表示ががおかしいと思っていたらやっぱりおかしかったので、geocitiesのデータ解析を参考にして一部訂正しました。無料レンタルカウンターとどちらを信用するかといえばホームページのサーバー側だと思いますけど.........一応。 |
・2004年10月10日 羽尾館、谷城UP 羽尾館(堀の内)と谷城の訪城覚書をまとめたのでUP。「谷城」は年末の「訪城収め」として、もう一度行くつもりです。完全に落葉して、霜が降りる季節になれば藪が酷いとはいえ、もう少し身動きが取れそうに思うので。眺望も杉林の間から多少はありそうな気もします。山田城、山崎城方面が実際にどのように見渡せるかを体験してみるつもりです。 |
・2004年10月9日 羽尾城UP 参考資料に「飢餓と戦争の戦国を行く」(藤木久志著/朝日選書)を1冊追加。「村の城」「合戦の際の乱取(戦争奴隷)」など従来あまり注目されてはいなかった研究が進んでいるらしい。大分昔に日本史を専攻してはいたけれど、70年代の前半にはこのような視点の研究は殆んどなかったと記憶している。近世末期の比企郡羽尾村では戸数約180戸なので、人口社会学などの本から推測すると中世末期では多分この半分程度のはずである。羽尾七騎としての兵力は通常で20人足らず。戦乱の際にその大半が合戦にでているとすれば、大名の軍事組織ではない残る村の年寄り(有力者)たちによる土豪・地侍の家族を含めた自分たちの防衛体制がしかれて当然である。それが「村の城」ということならば至極当然のような成り行きである。滑川町にのこる中世城館跡の規模や数の多さを考えると、こういう考え方も面白いと思う。特に「谷城」などはピッタリのような気がしてならない。 |
・2004年10月8日 羽尾城UP 羽尾城の覚書をUP。羽尾周辺にある集落の土豪・地侍層の集団を糾合しても、戦闘要員はせいぜいニ、三百人、子どもから年寄りまでの住民総出で二千人もいるだろうか。この兵力では上杉・前田の秀吉軍に半日と持たないことは明らかで、合戦の伝承は後北条氏の帰農した中小の在地領主たちの子孫の願望や、誇りが転じていったものなのかもしれない。 |
振替の休みをもらったので、早速前回の続きとなる埼玉県比企郡滑川町を中心に訪城。秋の深まりとともに夕暮れの時間が早まってきたので、帰りの交通渋滞も考慮して訪城は遅くも午後2時半までと目標を立てました。訪城の順番は「羽尾城」⇒「羽尾館」⇒「谷城」⇒「山田城」⇒「山崎城」でした。無理すればあと2、3ヶ所いけますが、頭の整理がつかなくなるので、当初の予定の範囲内で訪城完了。 |
・2004年10月6日 日記ファイル更新 日記のファイルを更新。やっぱり思ったよりも時間がかかりましたが、前回と比べれば4分の1ぐらいの作業でした。月輪館をUPして、やっと先月末の訪城分の整理にめどがつきました。やっぱり後の整理に伴う自分の能力を考えると1回の訪城につき、3ヶ所程度が無難なようです。これでやっと訪城覚書も13ヶ所になりましたが、年末まで順調にいったとしても、なんとかあと30ヶ所というところでしょうか。 |
・2004年10月5日 300メガに増量 GeoCotiesが有料の場合、今月末ぐらいから300メガに増量されるのが分かり、非常にうれしい。なんたってあと、14メガくらいしかなかったので、これは助かる。ひとつのサイトを複数のサーバーに分割する方法もあるけれど、リンク関係のパスの変更などやっぱりややこしい。息子は息子で自分のサイトを持っているので、お互いによかった、よかったと息子ともども喜びを分かち合った(^^)。 |
昨日は少し夜更かしをして、高坂館跡をUP。今日は雨が小降りならば出かけようと思っていたのですが、なかなか小ぶりにならない。資料の整理を進めつつ、東京電力の降水状況と雨雲の画像を見て、どうやら午後は2時間ほど曇りとまでは行かないけれども、小雨になることが予想できたので東松山方面に出動。どうも腑に落ちなかった小代氏館と野本氏館の遺構の再確認が目的です。野本氏館の方では具体的な収穫はありませんでしたが、消失した土塁の再確認ができただけでもそれなりに満足です。下校中の小学生たちが道端に落ちている栗のイガで遊んでいるのをみて、ふと今は成長した自分子どもたちの昔の小さかった頃のことを思い出し一人感慨に浸っていました。 |
・2004年10月2日 「法音寺館」の訪城覚書をUP 「法音寺館」の訪城覚書をUP、といっている最中に左の方が痺れている........最近は痛みも伴ってきた。誠に困ったもので........(^^) |
・2004年10月1日 左半身の痺れ ここ一週間ぐらい左手から背中にかけての痺れが治まらない。一応末梢神経の改善の薬とか、血流をよくする薬とか服用はしているのですが、ほとんど効果はないようです。朝起きた状態で左半身が痺れており、ほぼ一日中続いています。指の細かい動きを別にすれば、機能上の支障は殆どないのですが、どうにも困った状況です(^^)「住吉館」ほかの訪城覚書をUP。一週間に一度はバックアップをとディスプレイにシールを貼ってあるのですが、喉もと過ぎればの喩えどおりこれがなかなか........。 |
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