( 2010/05/16 )
■日陰者ですが不滅です
このユキノシタは自宅の庭の片隅に生息しているもので、もうかれこれ半世紀以上の年月を経過しています。今の住居のある場所は都内から東京五輪の行われた1964年の3月に転居。その当時は金魚や錦鯉を飼育するために人工池などを設置したり、ナス、キュウリ、トウモロコシ、イチゴなどを栽培した4坪ほどの家庭菜園も手掛けておりました。ほかに果樹の実るものでは、ウメ、モモ、カキ、イチジクなども植樹していたような記憶があります。
その後は2階建ての住宅が増えたことなどにより、日照と通風の条件が変わったことに加えて余り庭木の面倒をみることもなくなり、転居当時から残っている数少ない植物のひとつとなっています。1988年、2012年、2013年と住宅の建て替えや改築などを経て決して良好な生育環境ではなくなり、一時はその姿をあまり見かけるようなことが無くなりましたが、いつの間にか気づかないうちに復活を遂げていました。
なお、このユキノシタよりもさらに先輩格の植物がひとつあり、1949年頃には都内の自宅で庭木として植えられていたヤツデ(株分けされたものですが、計算上は樹齢70年近く)があります。このヤツデは転居する際にもオート三輪に引越しの家財と共に積み込まれて移植されたものです。なお、このヤツデには東京大空襲時に焼出された自宅の庭で焼け残っていたというような都市伝説的な逸話も聞いたような記憶があるのですが、何分にもその当時のことを記憶していた実母もすでに10年近く前に亡くなっておりますので今となっては確かめようもありません。
(2017年2月28日記述)
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