全体のトップ頁へ戻ります 植物図鑑のトップ頁へ戻ります 図鑑の目次へ 頁の最後へ移動 画像掲示板へリンクします ほっつきブログへ
アクセス深謝(素人趣味のため不備や間違いがありますので、お気づきの点がございましたらご教示くださいませ)
植物図鑑のロゴ ⇒ クリックで植物図鑑のトップ頁へ戻ります 茶の木の画像茶の木のバナー
⇒関連ページへリンク  

植物画像の使用加工の許諾は不要です
画像クリックで拡大します
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
撮影場所 埼玉県ふじみ野市 ( 2008年10月16日 撮影 晴れ )
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
撮影場所 埼玉県ふじみ野市 ( 2013年9月30日 撮影 曇り )
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
撮影場所 埼玉県ふじみ野市 ( 2013年10月28日 撮影 晴れ )
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
茶の木の画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
撮影場所 埼玉県ふじみ野市 ( 2014年10月31日 撮影 曇り )

日本名 茶ノ木(チャノキ)
⇒チャの和名は中国語の茶を日本語風に読んだもので、英語のteaも中国語のテイに由来しているという。(「色でひける花の名前がわかる事典/成美堂出版」「お茶の歴史/原書房」などより)
科/属 ツバキ科ツバキ属
学名 Thea sinensis あるいはCamellia sinensis
開花時期 10月から11月ころまで
特徴など 中国南西部を原産地とし、日本での栽培は805年に天台宗開祖の最澄(伝教大師)が種子を持ち帰り比叡山に植えたのが始まりとされている。
その後鎌倉時代になり、臨済宗開祖である禅僧栄西がその種子を日本に持ち帰えり筑前の背振山に植え、それを高山寺の明恵上人に贈答したものが京都栂尾にて栽培された。
そののちに宇治や駿河に伝わり喫茶の習慣が広められ、やがて室町時代以降の茶道文化普及へと発展していく。
なお、栄西は1191年に日本で最初となる「喫茶養生記」という茶に関する医学書も著している。
ただし茶の飲用そのものについては、792年聖武天皇の御世に100人の僧を奈良の内裏に招いて4日4晩読経をさせた際に、唐からの遣いが持参した「引茶」を振る舞ったことに始まるという。(⇒以上は「大辞林第2版/三省堂」「お茶の歴史/原書房」などより引用)
耐寒性の常緑低木であり、花は下向きに咲くことが多く、黄色い雄しべの外側への広がりが目立ち、その印象は同じ仲間のヤブツバキやサザンカにも似ているが、その樹高は3メートルを超えることはなく、茶畑で実際に栽培されているものは一般には1メートル未満の高さに剪定されていることが多い。
通常は花径3センチメートルくらいまでの大きさで、五弁花の形態をとることが多いが、少し観察してみると花弁が矮性化して花の中心が偏る場合などのバリエーションも少なくない。
花色は一般な白色のみであるが、観賞用として桃色花のベニバナチャがある。
濃緑色の葉はに照りと厚みがありやや裏側反り返り、その縁にはギザギサの鋸歯があるが鋭くはなく、全体として波打つことも多い。
日本国内で栽培される種類はシネンシスの系統であり、これ以外には有名なアッサムの系統がある。
煎茶・玉露・抹茶・番茶・ほうじ茶などの緑茶(不発酵茶)、烏龍茶(半発酵茶)、紅茶(発酵茶)はいずれもこの茶葉の若葉を原料として加工したものである。
花言葉は「憩」(⇒「だれでも花の名前がわかる本/講談社」「花色図鑑/講談社」「散歩の樹木図鑑/新星出版社」「色でひける花の名前がわかる事典/成美堂出版」」「葉っぱで見わけ五感で楽しむ樹木図鑑/ナツメ社」「葉形花色でひける木の名前がわかる事典/成美堂出版」などより引用)
別名
俗名
方言
別名「茶」(チャ)
なお「侘助」は茶人笠原侘助が茶花として愛用したツバキの一種の別名であり、冬の季語でもある。(⇒「大辞林第2版/三省堂」より引用)

観察の記録

( 2014/09/08 )
茶の花は晩秋が味わい深く
 晩秋の頃に近所の茶畑を訪れてみると、直径1センチメートルほどの茶色い茶の実がたくさん落ちているのを見かけます。
ふじみ野市は所謂狭山茶栽培の北限に位置し、かつては茶業農家の茶畑を市内(2005年当時までは大井町、1970年当時までは大井村)のあちこちに見ることができ、畑の境にはその目印代わりや風除けなどとして「畦畔茶」(けいはんちゃ)の姿さえもごく普通の光景として見受けられたものです。
しかしその後の急速な宅地開発や工場の進出によって農地、平地林の姿は大きく変容を遂げ、適正に栽培されている茶畑の姿自体もたいへん貴重な存在となってしまいました。
この画像のなかば放置されている状態に近いような茶畑についても、1980年代頃まではしっかりと茶摘みなどが行われていて、このような「茶の花」を咲かせているような風景を目にすることはありませんでした。
時代の流れとはいえ都市近郊における製茶業の衰退ともいえるような厳しい現実が存在して、初めてこの味わいのある茶の花を目にすることができるという皮肉めいた風景でもあります。
なおこの茶畑端の方は除草剤散布にもめげず、折々の季節の移ろい告げる野草の楽園ともなっております。


・2015/09/08 HP作成


チャノキ


全体のトップ頁へ戻ります 図鑑の目次へ この頁の最上段へ移動 画像掲示板 ほっつきブログへ