( 2009/12/02 )
■中世の名残を求めて
「東葛飾郡誌」にも、「妙見社を中心とせる高地一帯に古き囲い土堤、また屋敷跡と見るべき地所々に存す」と記されているように、星神社と香取大神宮並びに周辺の民家に土塁状地形が散在し、民家の土塁は長屋門を有する名主階層と思われる屋敷周辺は時間が止まってしまったような錯覚に陥るほど森閑としていた。
台地東側の香取大神宮への道は途中で完全な行き止まりだったが、後から考えれば、今一度元来た道へと戻り東進すれば鷲野谷城方面へ直行できた...などと後悔しても始まらなかった。
帰路には現用の茅葺古民家に遭遇した。
当該建造物は台地中腹に所在していることから、少なくとも幕末以前における手賀沼の氾濫予想水域を推定する手がかりとなるのかもしれない。
こうした歴史の奥深さを感じることのできる集落の入り口付近の台地南側緩斜面にて撮影・観察したのが上記の画像です。
草丈は目測で約5メートル弱ほど、背景の中低木にもたれかかるようにして生育しておりました。
関東でも比較的あたたかな千葉県とはいえ、おそらくこの2週間後くらいには降霜などにより枯れてしまったものと推測されます。
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