■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
■郷土史・歴史
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「中世の邑楽町」(1977/細谷 清吉 著/中世の邑楽町刊行会)
「邑楽町誌上巻」(1983/邑楽町)
■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
※所収されている「上毛古城塁址一覧」によれば、「横田屋敷 単郭、横田某、結城氏朝に味方して滅亡」と記されている。
「邑楽郡誌」(1917/群馬県邑楽郡教育会)
※高島村の章第10節名勝古蹟に「横田屋敷 大字藤川村字熊野および神明にあり。伝え曰く、横田某この處に居り、鎌倉管領(鎌倉公方足利持氏)に仕え、正長年中(1428−1429)結城氏朝に応じて上杉氏(関東管領山内上杉氏、上杉憲実)のために古河城に亡ぶと。郷人呼んで横田屋敷という。天正年中の検地字名に横田屋敷の名称を存せり。今畑地にして凡そ1町1反歩あり。東は韮川に臨み三面塹濠を存す」と記されている。
■その他
邑楽町公式HP