群馬県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 
群馬県吉井町の城館索引へ戻る
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/01/11のブログ 
所在地
 群馬県多野郡吉井町大字神保字八束1330ほか
歴史、人物、伝承

羊太夫伝承
 天狗の伝説や羊太夫の居城などの逸話を有する山城ですが、一般的には戦国期の城郭として捉えられているようです。しかし現存する遺構の素晴らしさと比較して、その築城者、城主などの歴史的経緯については明確ではないようです。また、別名を「多胡八束城」、あるいは「多胡上城」とも呼ばれ、北方の「多胡下城」はこの八束城の「副城」とも考えられています。(「中世吉井の城館跡」より)
 なお「日本城郭全集3」によれば、戦国初期の築城であると指摘した上で、多胡城の要害城であるという解説がなされています。(この項に関する執筆者はおそらく山崎一氏と思われます)こうしたことから、源先生義賢あるいは酒井中務少輔高重との関わりを有するともいわれています。(以上「吉井町の文化財ガイドブック」より)

確認可能な遺構
 郭、腰郭、堀切、小口、帯郭など
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年1月11日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/01/11 )
 尾根筋を延々90分以上の縦走
・午前10時15分 麓の登山者駐車場を出発
・山頂到着 正午ちょうど
・上り所要時間 1時間45分(デジカメ撮影及び軽食の摂取を含む)  ・普通に進めば90分前後の所要時間
・調査時間  105分(東西の稜線に分散する郭・堀切等の遺構確認によ・る比高差約200m)
・昼食休憩 15分
・駐車場到着 午後14時45分  下山所要時間45分
・標高452.3m、比高差 300m、駐車場からの直線距離約1km
・遺構 堀切約8か所、郭約8か所、小口・腰郭・帯郭各1か所ほど

 要約すれば上記の通りですが、何分にもハイキングコースの稜線を直線に換算しても軽く1km以上(1.5kmとも)歩かねばならないという大きな障害があるようです。しかしルート自体は地元の皆さんのご厚意により、駐車場・道標に始まりコースの整備は万全の備え。加えて残存遺構も極めて良好な状態を保持され、環境整備により眺望も十分に確保されてまさにベストコンディション。低山の割には急勾配で、尾根筋には露岩がゴロゴロしているので歩く楽しみも加わりハイキングにはうってつけかと思われます。
 東の郭群先端では、念のため最短コースの林道経由して八束の集落方面からから上ってくるはずの南東方向からの尾根筋の状況を確認。結果は、やはりかなりの急勾配で途中には迂回できそうもない岩場が所在しているとの情報も。また西側の岩稜ルートはある程度コース整備されているとはいえ、中間部分は露岩のオンパレードで高所恐怖症気味の場合には避けた方が無難な険阻な地形。反面「天引城」の所在する朝日岳の景色を眺めるには相応しい岩稜が続くので、転落事故の可能性を考慮するならば下りよりも寧ろ上りルートとして利用する方がより安全かとも思われました。
 さて、堀切を含む遺構が東西の尾根筋に分散しているため、まず始めに東側の稜線を確認。次に山頂まで戻り城郭としての領域を確認するため西側の岩稜ルートの途中まで降下。駐車場の関係で往路を下山した方が安全かつ時間の節約になるため、再び比高差100mを登攀することに。この結果、累計比高差500mほどを登るという羽目に陥り、昨年末30日のミニオフに続いて性懲りもなく再びヘロヘロになったのであります。

主郭東側の大堀切 画像クリックで拡大します
迫力のある八束城主郭東側の大堀切
比高差は西側(主郭)で約5m、東側は1.5m
( 2008/01/11 北側から撮影 )
南側から撮影
南東から撮影
大堀切に続く北側の竪堀跡
訪城アルバム
この分岐を左へ進む
地元の方のご厚意の賜物である「登山者用駐車場」
凸1 この分岐を左へ
 この町道から八束城の所在するピークはこの工場の建物などの陰に隠れて直接は眺望することはできません。なお、進行方向の右手に見える印象的な山は、天引城が所在する岩峰で有名な甘楽町の朝日岳。

この個所から見える「天引城」の様子
凸2 登山者用駐車場
 地元の方のご厚意により登り口の近くに設置されている
登山者用の駐車場。ほかの車に配慮して上手く駐車すれば、ざっと15台くらいは収容できそうな広さがあるように思われます。
 ゴミは必ず持ち帰り、地元の方には感謝の意を込めてご挨拶を。

八束城への登り口
新しいもののようですが一応は石積み遺構
凸3 登山口
 八束への集落の道からこの右手の山道へと分け入り八束城まで所要時間にして90分から100分ほどのハイキング。登山道や分岐の標識は「八束プロジェクト」(町推)の皆様のご厚意により丁寧に整備されているため、山道に関する不安材料は殆ど無いというのは実に有難く。山城めぐりとしては、夏場を除けばいつでも行けそうな環境ですが、露岩の個所も少なくないので足回りはトレッキングシューズ程度は装備したいところです。

不詳の石積跡
 おそらくは後世に設置された土砂の流失を防ぐための擁壁ではないかと思われます。
凸4 新しそうな石積みと平場
 登山口からいくらも進まないうちに森閑とした杉木立のなか、右手前方に出現する石積み。苔むしてはいるものの比較的新しそうな印象が感じられます。日照の関係から桑畑ということは考えられず、かつての民家の跡地あるいは現地には庚申の文字が多数刻み込まれた比較的珍しい形態の庚申塔なども所在していることから、近世頃の民間信仰的な堂宇跡などの可能性もあるのかも知れません。

新しそうな石積み
 「平井金山城」南側の城跡に関連する遺構であるとは捉えられていない石積みに酷似しているという印象があります。
宅地1軒分の人工的な平場
猿田彦大神と天保12年と刻まれた百字庚申塔
石積み全体の地形
「城破りの跡?」のような崩し方も

画像クリックで蚕神社の石碑へ
画像クリックで部分拡大します
凸5 分岐
 「虚空蔵堂」と「見晴らし尾根」の分岐です。左の道を200mほど登ると虚空蔵堂の小さな堂宇が所在していますが100mほど坂を登ると「見晴らし尾根」の道へと合流しています。また右側の尾根筋を進むと、ちょっとした岩尾根となり、虚空蔵堂からの道が合流した後、蚕神社の石碑を通って浅間山へと続きます。

虚空蔵堂

凸6 天狗松
 天狗の住家との伝承を残す老木。しかし残念ながら現在は枯れ木となってしまっていますので、風化・腐食による倒木に至るのは時間の問題のようです。天候次第では北側の眺望は絶景となるはずですが、この時は生憎と曇りがちのために見通しもいまひとつなのでありました。

浅間山山頂
画像クリックで拡大します
凸7 浅間山の山頂
 標高278メートル(比高差約120m)の浅間山山頂で、小規模な砦を兼ねた物見櫓などが設置されるには好都合な地形と立地条件を備えているようにも見えます。このことは八束城の唯一の地形上の弱点はこの浅間山の所在する比較的勾配の緩いなだらかな尾根筋であるという事情からも十分にありうるものと考えられます。しかし現実には山頂部分の平場を含めて明確な遺構が所在するとは言い難い状況であると言わざるを得ないのでありました。

天狗松と浅間山山頂
浅間山南側直下の腰郭状?地形
 南斜面のため桑畑などの農耕地跡かも知れません。
浅間山南側の堀切状?地形
 尾根筋の自然崩落である可能性が大きいようです。
地元吉井町「まちすい」の皆さんが整備された標識
 
凸8 浅間山より八束城
 城跡が手前の浅間山あたりであればものすごく楽なのですが、現実は無情にもこの辺でも未だ往路の3分の1程度に過ぎません。
 まさか、あれでってことはないだろう...などとの微かな期待も虚しく、木の枝の向こうに幾分かすんで見える八束城までの直線距離は、未だ約700メートルほどの登り道
残しているのでありました。

「多胡の峰」とも呼ばれる牛伏山(標高490m)
八束城への痩尾根
南側から眺めた浅間山
 

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸9 羊の足跡
 羊太夫の伝説に関連する恰も足跡のように見える大岩の窪みで、常時携行しているメジャーで計ってみたところでは約33センチの大きさ。このため、26センチ用のトレッキングシューズが楽々と収まるのであります。この辺りでやっと半分ほどの道程となり少しは目標物に接近したようです。

「羊(太夫)の足跡」
「羊の足跡」付近から見た天引城  
 麓との比高差は200mから250mで、その露岩地形からは俄には信じられませんが、比較的安全な複数の登攀ルートがあるようです。
凸10 北尾根の堀切
 やっと往路の半分以上を過ぎて本郭的遺構とご対面に成功。堀切東側から撮影したもので、痩尾根上であることから足元の部分については大規模な竪堀としての明確な形跡はなさそうに思われます。すぐ近くの尾根筋には大きな露岩が尾根筋を塞ぎベトン要塞のような趣さえあります。

北尾根の堀切(北側から撮影)
同 (南側から撮影)
堀切の少し南側に所在する露岩
尾根筋の防御には最適の自然地形
 

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸11 主郭小口
 主郭及びその下の北側の腰郭から2段構えの攻撃に曝されるとともに、画像右側の小郭(8m×5mほどの規模)からも横矢を受ける九十九折りの坂小口となっています。

小口脇の腰郭
九十九折の小口への道
腰郭から見下ろした小口部分
凸12 主郭付近
 山頂の広さは幅約15m×長さ約40mほどの規模を有し、明らかに人工的に削平された形跡が窺えます。

主郭西側の西尾根への入口
石祠と井戸跡状のくぼみ(径2m前後の規模)
夕日に染まる主郭
主郭東端より東側の郭群を望む
主郭東側の小郭
 幅 5m×長さ6mほどの小規模なもので浅い堀切で東1の郭に続いています。
石積か自然石か
 主郭東側小郭の西端に石積のごとく所在している石片群ですが、石積みらしいものはこの部分にしか存在していないことから多分に自然石である可能性が強そうです。。
未整備の標識
 山頂の主郭から東側に所在する郭、堀切などの遺構群については、現在ハイキングコースとしては未整備であることを示す標識。
 

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸13 東側の郭群
 主郭東側の小郭を含めると合計4か所の郭が梯郭状に所在しています。なお山崎一氏の作成された縄張り図ではこの東側の郭の郭の総数は計3か所とされています。
東1の郭 幅10m×長さ20mほど
東1の郭より西側の小郭 奥の方は主郭
東2の郭 幅15m×長さ30mほど
東1の郭と東2の郭の間の切岸状地形
 1.5mから1.8mの段差を有する。
東2の郭と中央付近の井戸跡のような窪み
東2の郭(手前)と東3の郭(奥)の間付近
土塁状地形 高さ0.8m、長さ6mほどの規模
東2の郭(手前)と東3の郭(奥)の間付近
東3の郭(幅15m×長さ20mほど)
堀切上部に相当する東3の郭東端部
南東方向からの尾根筋
 八束の集落の峠付近に続いている尾根筋なので、この八束城までは最短距離ではあることは間違いがありません。しかし途中で岩場に遮られる地形のため、この個所からそのまま這い上がってくることはまず不可能かと思われます。
凸14 東側第1の堀切
 東側の郭群の東端から20mを下った尾根筋に所在しています

東第1の堀切 尾根筋から見下ろしたもの
堀切上部の露岩
南側から撮影 浅間山方面
南側から撮影 同上
南側の竪堀
堀切
 画像右側(南側)が二重の竪堀に見えますが自然の浸食による崩落のようにも見えます。

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸15 東側第2の堀切
 北側から撮影してもの。傾斜のきつい尾根筋の堀切にしては、よく原形を保っているものだなどと感心するのでありました。

堀切上部の自然石
南側から撮影
北側の浅間山方面
第1の堀切と東廓の尾根筋
凸16 東側第3の堀切状地形
 山崎一氏の作成された縄張り図には記載されてはいないようですが、見ようによっては堀切に見えなく見ない地形かと思われます。

北側の浅間山方面
 伐採のため余りに見通しが良いので、そのままこの先の尾根筋を踏査して見たいという衝動を何とか抑えて再び山頂へ戻ることに。
北側から撮影 

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸17 主郭西側の堀切
 主郭西側は大規模な二重堀切が小郭をはさんで普請されこの方面の防御の堅さを窺い知ることができます。
北側から撮影 近景
北側から撮影 やや遠景
北側から撮影 遠景
主郭南側の帯郭 幅約2m、長さ約50mほどの規模
主郭西側小郭外側の堀切
主郭西側の小郭 15m×20mほどの規模
主郭西側小郭西端の竪堀 南側から撮影
主郭西側小郭西端の竪堀 北側から撮影
 
凸18 西側の郭群
 東側の比較的明確な郭の配置と比較すると、郭の境界部分があまり明確ではないという印象があります。画像は主郭に一番近い郭とその西側の郭で数十センチほどの段差を確認することができます。

上記の個所をに反対の西側から撮影 
同上
最も西側の郭
さらに西側の城郭遺構とは無関係の緩斜面

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸19 西尾根の露岩群
 人工的な地形の改変が不要なほど痩尾根上に多数の露岩が点在する険阻な地形が延々と続いています。

尾根筋脇の垂直の岩壁
西尾根から眺めた天引城
落雷のショックでへし折られた赤松
尾根筋をふさぐ露岩
比高差で約100mほど降下して再び山頂へ
 城域と尾根筋の地形確認が目的でしたが、この結果登った累計の比高差は約500mという計算に。
凸20 主郭東側の郭群と堀切の遠景
 往路では明確に判別がつかなかった主郭東側の堀切跡が、踏査後ではようやくしっかりとこの目で確認できるようになりました。

北側の尾根筋から眺めた堀切 
同上
同上

画像クリックで拡大します
画像クリックで拡大します
凸21 長大な北側からの尾根筋
 八束城の遠望とその北側に所在する長大な尾根筋の撮影ポイントを求めて天引城方面へと移動。しかし直線で1.5kmの距離は生憎と愛用の高角ミニズームの17ミリでは、到底収まり切りることはできませんでした。なお、八束城主郭が所在する山頂部分は画像のもう少し右側となります。
北西麓から八束城
浅間山と八束城
八束城遠望
凸22 八束城方面
 たまたま牛伏ドリームセンター南側の赤谷湖より遠望したもので、地形図などの資料から確認する限りでは恐らく正面の奥の方の山が八束城方面と思われます。
交通案内

比高差約300m 所要時間は上り90分、下り45分、遺構確認100分程度

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「吉井町誌」(1969/吉井町)・「中世吉井の城館跡」(1991/吉井町教委)
「吉井町の文化財ガイドブック」(2006/吉井町郷土資料館)・「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)・・「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)・「八束山登山道案内」(吉井町観光協会のHPより)

■「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
■「上野名跡誌」(嘉永6年/富田永世)1976関東資料研究会による復刻本


・2008/02/21 暫定版HPアップ
・2008/02/24 リンク錯誤・字句追加訂正
・2008/03/08 別名などの記述を追加
トップ頁へ 群馬県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動