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2010/12/30のブログ | |
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群馬県高崎市寺尾町字茶臼山 |
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主郭、小口、横堀、堀切、土塁、外郭ほか |
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なし |
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2010年12月30日 13時35分頃から14時50分頃 |
( 2010/12/30 撮影 )
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・北麓の市街地からの比高差約90m、南側の城山団地からは比高差約30m。 |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林) 「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社) 「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ■郷土史 「高崎市史 資料編3中世1」(1996/高崎市) 「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社) 「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社) 「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社) 「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社) 「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)・各市町村の公式HP 「多野藤岡地方誌 各説編」(1976/多野藤岡地方史編集委員会) ⇒第8章716頁に根古屋城築城に関連し、「永禄11年(甲陽軍鑑では永禄13年という)武田信玄は山名・鷹の巣(寺尾茶臼山城を指す)の間に新城を築き、信州の士望月八郎(佐久郡望月城主・重氏、長篠合戦で討死)・伴野助十郎(佐久伴野庄の人)を入れて守らせた」と「上野志」「関八州古戦録」にあるとしている。また、新たに武田氏支配下となった西上州を窺う後北条氏、越後上杉氏に対し箕輪を拠点とする境目城とし烽火台を置いたとも推定されている。(「群馬県古城塁址の研究」山崎一/著よりの引用) ■史料 「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会) ⇒ 高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収。宝暦年間(1760年頃)に記されたと推定される「上州古城塁記」によれば、「寺尾古城 茶臼の城ともいう、また館ともいう、山の上なり。本城長廿二三間ばかり、四周塁あり、その下は堀切にて、幅十間ばかり、それより段々下にて麓に二の丸の趾あり。」と記した後に、「上野志」より引用した新田義重の居城とした旨の記述がなされている。 「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収 ・2011/01/07 HPアップ
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