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群馬県甘楽郡甘楽町の城館索引へ戻る 白倉館 白倉館のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/12/13のブログ
所在地
 群馬県甘楽郡甘楽町白倉
歴史、人物、伝承

白倉小幡氏の居館か
 小幡氏一族である白倉氏(麻場城主)の居館跡と推定されるがその詳細については不明である。 「上州古城塁記」によれば、白倉小幡氏は上州八家のひとつで管領上杉氏の四家老のひとりでもあったというが定かではない。
 永禄3年(1560)長尾景虎による越山の際には、関東幕注文に下野足利衆の長尾同心として小幡道左の名が記されており、白倉氏との関連が推定されている。しかし永禄10年(1567)生島足島神社への起請文では甲斐武田氏への忠節を誓っており、永禄4年(1561)の武田氏の西上州進出に伴い武田氏に帰属したものと考えられている。

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年12月13日 14時00分から14時10分
訪城の記録 記念撮影

( 2011/05/16 記述)
 館跡?
 群馬県の中世城館報告書等によれば、麻場城の南西麓に館跡の推定地が記載されています。現地周辺には手づくりの案内標識もあります。そのまま進むと民家の玄関先へと到着しますが、ほかに如何にもそれらしい竹林もあります。
 また西側には白倉川の流れにより天然の水堀を形成し、民家の宅地周辺が微高地を形成していることなどは確認できましたが、肝心の遺構はの方は不詳でした。

白倉館周辺
白倉館付近の微高地
( 2008/12/13 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史
「甘楽町史」(1979/甘楽町)
「戦国人名事典」(2006/吉川弘文館)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 上州古城塁記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)
 上野志 「白倉古城、小幡騎下白倉左衛門これを守る。永禄年中永井豊前守・安中左近と一所に上州先方。」と記す。
 上州古城塁記 「白倉 甘楽郡にあり、白倉氏は上州八家の内にして、山内上杉宿老四人(長尾、大石、小幡、白倉)の内、然れども記伝に名字詳ならず。天文15年、笛吹峠(碓井峠)合戦に、白倉五左衛門、甲州の大将板垣信形を射て、馬より落せしかども、味方続かず討洩しぬ。後、甲州に属す。天正の頃、白倉掃部助という。後、小田原に籠城して家断絶す。」と記す。


・2011/05/16 HPアップ
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