凸戦国期の砦跡か 「群馬県の中世城館」(1988/群馬県)「富岡市史」などによれば、16世紀戦国期の城郭と推定されているようですが、築城者およびその支配勢力などの経緯詳細については不明とされています。また別名をその大字名に因み蕨城ともいうようです。 「根小屋」の字名が現在でも残っていますが、当該集落の規模はけっして大きい方ではありません。また城郭としての規模もそれほど大きくはなく東西約100m、南北約200mの範囲にとどまります。こうした事柄からは郷村の地域支配の拠点としての機能よりも、寧ろ鏑川対岸方面(武田氏勢力など)を意識した戦国期の砦のひとつという想定が相応しそうにも思えましたが、あくまでも立地上の感想に過ぎず、無論具体的な根拠を伴うものではありません。
( 2010/12/19 ) 凸 思いのほか明瞭な遺構群 東西を南流する蕪川水系星川の支流に挟まれた比高差40mほどの丘陵先端部に所在し、 蕪川、庭谷城方面の眺望に優れた地形となっています。探訪前には ある程度の篠竹の藪を想定していましたが、南端部の上段腰郭が一面の枯草に覆われていることを除いて 、全体が耕作地として利用されているため表面観察をするうえでの支障はほとんどありません。勿論現存している残存遺構には無論後世の耕作等に伴うある程度の地形改変が含まれているものと判断されますが、郭、堀切、空堀、腰郭等の形状は十分に把握することが可能です。 なお今回は西側の沢沿いのルートからアプローチしましたが、車の駐車スペースを確保するには東側の耕地を経由する方がより便利であることを認識しました。 ( 2010/12/31 ) 凸 ミニオフで再訪 この日に忘年会を兼ねて開催された群馬ミニオフ。当日は降雪を含む悪天候が予想されたために急遽探訪先を変更し、先日訪れたばかりの管理人による俄か仕立ての些か怪しげな案内となってしまいました。尤も天候の方はその後回復して晴天となり、この時期の天候判断の難しさをあらためて痛感しました。
・いつもガイド の案内図です