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群馬県富岡市の城館索引へ戻る 根小屋城の主郭付近 根小屋城のバナー 根小屋城二の郭
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/12/18のブログ
所在地
 群馬県富岡市蕨字根小屋、城山
歴史、人物、伝承

戦国期の砦跡か
 「群馬県の中世城館」(1988/群馬県)「富岡市史」などによれば、16世紀戦国期の城郭と推定されているようですが、築城者およびその支配勢力などの経緯詳細については不明とされています。また別名をその大字名に因み蕨城ともいうようです。
 「根小屋」の字名が現在でも残っていますが、当該集落の規模はけっして大きい方ではありません。また城郭としての規模もそれほど大きくはなく東西約100m、南北約200mの範囲にとどまります。こうした事柄からは郷村の地域支配の拠点としての機能よりも、寧ろ鏑川対岸方面(武田氏勢力など)を意識した戦国期の砦のひとつという想定が相応しそうにも思えましたが、あくまでも立地上の感想に過ぎず、無論具体的な根拠を伴うものではありません。

確認可能な遺構
 郭、腰郭、帯郭、堀切ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年12月18日 10時15分から11時05分 、2010年12月30日再訪
訪城の記録 記念撮影

( 2010/12/19 )
 思いのほか明瞭な遺構群
 東西を南流する蕪川水系星川の支流に挟まれた比高差40mほどの丘陵先端部に所在し、 蕪川、庭谷城方面の眺望に優れた地形となっています。探訪前には ある程度の篠竹の藪を想定していましたが、南端部の上段腰郭が一面の枯草に覆われていることを除いて 、全体が耕作地として利用されているため表面観察をするうえでの支障はほとんどありません。勿論現存している残存遺構には無論後世の耕作等に伴うある程度の地形改変が含まれているものと判断されますが、郭、堀切、空堀、腰郭等の形状は十分に把握することが可能です。
  なお今回は西側の沢沿いのルートからアプローチしましたが、車の駐車スペースを確保するには東側の耕地を経由する方がより便利であることを認識しました。

( 2010/12/31 )
 ミニオフで再訪
 この日に忘年会を兼ねて開催された群馬ミニオフ。当日は降雪を含む悪天候が予想されたために急遽探訪先を変更し、先日訪れたばかりの管理人による俄か仕立ての些か怪しげな案内となってしまいました。尤も天候の方はその後回復して晴天となり、この時期の天候判断の難しさをあらためて痛感しました。

根小屋城(蕨城)主郭付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
根小屋城(蕨城)主郭付近
( 2010/12/18 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」掲載の情報および「電子国土」の地形図等を参考にしています。

根小屋城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
北郭と主郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
北郭堀切
凸1 北郭と主郭
 北郭北辺部より主郭を撮影したもので、南側に所在している主郭郭面が1.5mほど高く普請されていることが窺えます。
 両郭とも土塁が築造された痕跡は殆ど確認できませんが、耕地化される以前にはある程度は土塁が周回していたものと想定されます。
凸2 北郭堀切
 北郭の北端部に所在している空堀ないしは堀切状の地形です。耕作のための農道としてある程度改変されている可能性が想定されますが、現状の深さは2.5mほどを測ります。
 なお、画像左側にも同様の削平地が所在していますが、帯郭などの形跡も無く城域外と想定されます。

主郭小口付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭と北郭を分ける堀切状地形
凸3 主郭小口付近
 北郭の北部には明確な小口状の地形が見当たらないことから、大手筋は北郭の西側を迂回し画像右手の坂を折り返し主郭と北郭との間の堀底道にすすみ主郭へと向かうルートが存在していたものと想定されます。無論この地形を観察する限りでは、後世の耕作などによる地形改変がある程度は加わっているものと考えられます。
凸4 主郭と北郭を分ける堀切状地形
 画像右側が主郭で左側が北郭に相当する両郭を隔ている機能を有する空堀ないしは尾根筋を横切る堀切状の地形です。
 現状では相当に埋没している状況となっていますが、それでも主郭側で2.5m、北郭側で1m以上の深さを確認することができます。

腰郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
北郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 腰郭
 腰郭といっても現状では主郭部分よりも広大な面積を有し、現在でも主郭西側の帯郭から崖線部に沿って迂回する城道が続いていることが確認されます。「画像7」の個所を俯瞰したものです。
凸6 北郭
 主郭小口付近から北郭と西側の帯郭方面を撮影したもので、北郭の西側を迂回する城道には北郭上方からの横矢をまともに受ける構造となっていることが窺えます。

腰郭から主郭方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
下段の腰郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 腰郭から主郭方面
 自然崩落あるいは耕作地の拡大などのために主郭側の崖線地形が変貌している可能性も否定できませんが、概ね6mから7mの比高差を有する崖線を形成しているため竹林の個所を除いて直登はほぼ困難です。
凸8 下段の腰郭
 「画像7」の個所から俯瞰した下段の腰郭状の地形で、丘陵の南東方向という季節風を遮るとともに日当たり良好な環境下にあり、上段の腰郭と同様に小屋掛けなどの用に供することも可能な広さを有していました。
交通案内

・比高差約40m、麓から徒歩10分足らずで主郭部へと到達します。
・車の場合には東側の谷筋からアプローチすれば駐車スペースが確保できそうです。

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「日本城郭体系 4」(1979/新人物往来社)

■郷土史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)・「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)・「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「富岡市史 自然編、原始・古代中世編」(1987/富岡市)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」および「日本城郭全集3」「根小屋城 後賀根小屋 並郭」等とあり縄張りの概要および比高差なども合致しているが、大字名が異なることなどから本来はこの蕨根小屋城を指すものかどうかについては不明である。

・2010/12/19 HPアップ
・2010/12/31 再訪に伴い記述追加
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