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山梨県甲府市の城館索引へ戻る 要害山城全景 要害山城のバナー 主郭西側小口
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/3/28のブログ
所在地
 山梨県甲府市上積翠寺町
歴史、人物、伝承

武田信玄生誕の地とも
 要害山城は積翠寺(せきすいじ)の東北東に所在する丸山(要害山)の山頂から西側の山腹にかけて占地している城跡である。築城は武田信玄の父である武田信虎によるもので、居館を石和から躑躅ヶ崎館へ移転した後の永正17年(1520)12月にその詰城としての完成をみた。(「甲陽日記」)
 大永元年(1521)9月駿河の今川氏が大軍を擁して甲斐に進攻した際に、武田方は一時劣勢に陥り、信虎の妻大井夫人は戦乱をさけるべく要害山へと移り、この折に信玄が出生したという。なお、城番は積翠寺郷を知行していた駒井氏が継承したものと推定される。(※「甲陽軍鑑」より)その廃城時期については、甲府城完成後の慶長5年(1600)とされる。(※「甲斐国志」より)
 現存する石垣など一部の遺構については、徳川氏或いは豊臣氏時代(加藤光泰が甲府に入府)に改修を受けている可能性のあることが指摘されている。別名を要害城積翠寺城積翠寺要害城などともいう。

確認可能な遺構
 土塁、石垣、門跡、竪堀、腰郭、土橋、小口、井戸など多数
文化財指定
 甲府市指定史跡
訪城年月日
 2009年3月28日 11時10分から15時00分頃まで
訪城の記録 記念撮影

 要害山は武田氏館(躑躅ヶ崎館)の詰城でもある著名な山城ですが、別名を丸山と呼ばれるように、事前にイメージしていたよりも麓から見上げた限りではさほどの「要害」のようには思えません。然るに山中に足を踏み入れた途端に、著しく懐の深い要害に変貌し、主郭といわれている標高775mの郭部分にいたるまで、凡そ9か所もの関門が手薬煉をひいて寄せ手を待ち構えているのでありました。
 また主郭背後の尾根続きにも、削り残された細い土橋付の巨大な堀切3条と2か所以上の関門が行く手を阻んでいます。無論全ての遺構が武田氏時代のものとは限らないとしても、ただひたすら率直に感動の連続なのでありました。
 当初においては縄張図と照合しつつ、逐一遺構の存在および状態を検証する心積りなのでありましが、全体を5ブロックに分けた書き込み資料を持参したにも拘らず、余りの遺構の多さに(撮影画像枚数は過去最多の218枚)次第次第に頭が混乱を来たしていったのでありました(苦笑)
( 2011/11/12  記述 )

要害山城の全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
要害山城の全景
( 2009/3/28 撮影 )
訪城アルバム
井戸
門跡(石垣) ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 井戸
 水を湛えた「諏訪水」と呼ばれている、現存する唯一の井戸跡。城郭の規模からして、他にも数ヶ所程度の井戸が存在していたものと想定されますが、現在は埋没してしまった模様です。
凸2 門跡(石垣)
 郭内側から撮影したもの。城門跡と推定されている個所のひとつで、画像右手には巨大な石垣の礎石を確認することができますが、武田氏当時のものか豊臣氏、徳川氏時代のものかその判断に苦しみます。

主郭南西小口 ⇒ 画像クリックで拡大します
石積み ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 小口
 主郭南西部の小口で、土塁はほぼ長方形に郭の辺縁部を全周していました。小口周辺の基礎部分は石垣で強化されている跡が散見されました。
凸4 石積み
 城跡東端部を睥睨する櫓台状の郭と、その基礎部分を補強している石垣遺構。

土橋と竪堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
積翠寺 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 土橋と竪堀
 要害山城の最東端部の竪堀と削り残された土橋で、城域は概ねこの部分までと推定されます。
凸6 積翠寺
 武田氏所縁の積翠寺と背景の要害山城方面の西側手前部分。主郭部との比高差は約300mを測りますが、尾根筋の奥行きが深いため山麓から見上げた限りではそれ程の比高差を感じません。
交通案内

・比高差約300m、時期によりクマ、イノシシなどの出没に注意が必要。

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「定本日本城郭事典」(西ヶ谷 恭弘 編/2000/秋田書店)
「日本城郭事典」(大類 伸 監修/1992/秋田書店)
「日本の名城・古城事典」(1989/TBSブリタニカ)
「ビジュアルガイド日本の城」(2005/小学館)
「図説日本100名城の歩き方」(2010/河出書房新社)
「探訪ブックス日本の城3近畿の城」(1989/小学館)
「ドキュメント戦国の城」(藤井尚夫 著/2005/河出書房新社)
「戦国武田の城」(中田正光 著/1988/有峰書店新社)
「中部地方の中世城館2山梨・長野」(2001/東洋書林)
「武田信玄 城と兵法」(上野晴朗 著/1986/新人物往来社)
「山梨県史資料編7中世4考古資料」(2004/山梨県)

■郷土史・歴史関係
「武田信玄合戦録」(柴辻俊六 著/2006/角川選書)
「武田信玄」(平山 優 著/2006/吉川弘文館)
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「定本武田信玄」(2002/高志書院)
「角川日本地名大辞典19山梨県」(1984/角川書店)

・2011/11/12 HPアップ
・2019/06/25 画像ズレ補正
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