凸戦国武田氏の山城 北を白沢川、南を八幡沢に挟まれた標高567m通称鍋山の山頂部に占地し、北西約600mに北烽火台、南約900mにムク台の烽火台が所在し、白山城を含めて国指定史跡となっている。別名を鍋山の砦、為朝の城跡、菱岩城、城山、武田館要害城などともいう。 「甲斐国志」の記述によれば、神山町武田の地に居館を構えた武田信義の要害が鍋山村に所在するとされ、この要害が白山城と考えられている。中世末期には武川衆の棟梁である青木信種が白山城を任されたが、主家である武田氏の滅亡後には青木氏一族の山寺甚左衛門信昌が、天正10年(1582)12月に鍋山郷百貫文を本領安堵されその支配下に置かれたと伝わる。(「寛政重修諸家譜」より) 築城の年代、その後の改修に至る経過などには諸説があるが、武田氏による戦国期を代表する山城のひとつである
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