凸武田氏重臣甘利氏の居館跡か 「山梨県史資料編7中世4考古資料」の記述によれば、大輪寺一帯は甘利氏の平時の居館であり、詰城は南西約1.5kmに所在する扇子平城であると推定されている。 「現地解説板」によると、館跡に所在する日蓮宗池上本門寺派甘利山大輪寺は、中世武田氏時代における甘利郷領主甘利氏の菩提寺であり、開基は甘利左衛門尉昌忠、開山は昌忠の三男である慶受院日国であり、周辺には北門、的場、大庭、大堀などの中世城館関連の地名が遺されているという。 甘利昌忠(のち信忠)は天文、永禄期に活躍した人物で、信玄の家老職(両職)を務めた重臣であり、天文17年(1548)の上田原合戦で戦死した甘利虎泰の子であり、父に代わって甘利衆の指揮を統括するとともに木曽、上野などの国衆の取次役としてもその活躍が確認されている。(※「戦国人名事典」「戦国期東国の大名と国衆」などより)
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