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山梨県韮崎市の城館索引へ戻る 大輪寺 甘利氏館のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/12/30のブログ
所在地
 山梨県韮崎市旭町上条北割宮下
歴史、人物、伝承

武田氏重臣甘利氏の居館跡か
 「山梨県史資料編7中世4考古資料」の記述によれば、大輪寺一帯は甘利氏の平時の居館であり、詰城は南西約1.5kmに所在する扇子平城であると推定されている。
 「現地解説板」によると、館跡に所在する日蓮宗池上本門寺派甘利山大輪寺は、中世武田氏時代における甘利郷領主甘利氏の菩提寺であり、開基は甘利左衛門尉昌忠、開山は昌忠の三男である慶受院日国であり、周辺には北門、的場、大庭、大堀などの中世城館関連の地名が遺されているという。
 甘利昌忠(のち信忠)は天文、永禄期に活躍した人物で、信玄の家老職(両職)を務めた重臣であり、天文17年(1548)の上田原合戦で戦死した甘利虎泰の子であり、父に代わって甘利衆の指揮を統括するとともに木曽、上野などの国衆の取次役としてもその活躍が確認されている。(※「戦国人名事典」「戦国期東国の大名と国衆」などより)

確認可能な遺構
 なし(石碑、解説板あり)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年12月30日 10時40分から10時50分
訪城の記録 記念撮影

 大輪寺を中心とした区画が甘利氏居館跡とのことですが、とはいえ現存しているのは寺院境内と周辺の民家の宅地のみという状況です。なお駐車スペース確保のため寺院周辺を一周半してみましたが、適当な駐車スペースはありませんでした。なお、境内には甘利昌忠遺徳を顕彰した明治期の石碑(墓碑)が建立されていました。
( 2011/11/20  記述 )

大輪寺の境内 ⇒ 画像クリックで現地解説板へ
甘利氏館(大輪寺)
( 2009/12/30 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「中部地方の中世城館2山梨・長野」(2001/東洋書林)
「山梨県史資料編7中世4考古資料」(2004/山梨県)

■郷土史・歴史関係
「武田信玄合戦録」(柴辻俊六 著/2006/角川選書)
「武田信玄」(平山 優 著/2006/吉川弘文館)
「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)
「国史大辞典」(1986/吉川弘文館)
「戦国大名系譜人名事典」(1985/新人物往来社)
「角川日本地名大辞典19山梨県」(1984/角川書店)
「戦国人名事典」(2006/吉川弘文館)
「戦国期東国の大名と国衆」(2001/黒田基樹 著/岩田書院)

・2011/11/20 HPアップ
・2019/06/25 画像ズレ補正
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