凸飯田館の古館とも 羽州街道東約1.2kmの山中に所在する城郭遺構で、幅約3mほどの楕円形の空堀に囲まれたされた平場状の地形で、その素朴な形態からは飯田館の古館としての性格を有する戦国期前の古い形式を有するという。飯田の集落からは比高差にして約200m前後と大きく同地域の戦国期の城郭の立地条件とは明らかに異なるものがある。 また南方の深さ約150mの谷を挟んで「飯田館」の詰城ともいわれている「十字山」の遺構も存在している。(⇒「山形県中世城館遺跡調査報告書」より引用した)
凸 極めて不確かな備忘録 ( 2010/10/21 記述 ) 高館山の標高は約300mを有し、南南東方向に開けた視界の範囲では抜きん出て高いこと、等高線から想像する形状と合致していることなどから推定してみたものです。土生田(とちうだ)館近くの公園から撮影したもので、南南東という方角については概ね符合しているものと思われますが、撮影したデジカメ画像で見る限り距離の近さに違和感があります。「電子国土」での距離は約1.4kmを示していますが、稜線や立木などの様子からみて、恐らくは撮影地点からの直線距離は最大でも1kmもあるかどうかというところです。このため、高館山北西に位置する標高210mの山頂部分、あるいは同約200m付近の尾根筋である可能性も否定できません。 これも何の資料の用意も有せずクマとの遭遇の可能性に鑑みて全く踏査をすることもなく、今後の参考資料とすべく土生田館に立寄った際に単にそれらしい地形に触発され遠景のみを撮影した事に起因するものであります(恥)
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