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1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/05/13のブログ 
所在地
 山形県村山市本飯田字高館山
歴史、人物、伝承

飯田館の古館とも
 羽州街道東約1.2kmの山中に所在する城郭遺構で、幅約3mほどの楕円形の空堀に囲まれたされた平場状の地形で、その素朴な形態からは飯田館の古館としての性格を有する戦国期前の古い形式を有するという。飯田の集落からは比高差にして約200m前後と大きく同地域の戦国期の城郭の立地条件とは明らかに異なるものがある。
 また南方の深さ約150mの谷を挟んで「飯田館」の詰城ともいわれている「十字山」の遺構も存在している。(⇒「山形県中世城館遺跡調査報告書」より引用した)

確認可能な遺構
 空堀跡
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月13日 13時30分頃
訪城の記録 記念撮影

 極めて不確かな備忘録 ( 2010/10/21 記述 )
 高館山の標高は約300mを有し、南南東方向に開けた視界の範囲では抜きん出て高いこと、等高線から想像する形状と合致していることなどから推定してみたものです。土生田(とちうだ)館近くの公園から撮影したもので、南南東という方角については概ね符合しているものと思われますが、撮影したデジカメ画像で見る限り距離の近さに違和感があります。「電子国土」での距離は約1.4kmを示していますが、稜線や立木などの様子からみて、恐らくは撮影地点からの直線距離は最大でも1kmもあるかどうかというところです。このため、高館山北西に位置する標高210mの山頂部分、あるいは同約200m付近の尾根筋である可能性も否定できません。
 これも何の資料の用意も有せずクマとの遭遇の可能性に鑑みて全く踏査をすることもなく、今後の参考資料とすべく土生田館に立寄った際に単にそれらしい地形に触発され遠景のみを撮影した事に起因するものであります(恥)

高館山か? ⇒ 画像クリックで拡大します
高館山付近か?
( 2009/05/13 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)
「中世出羽の領主と城館」(伊藤 清郎ほか著/2002/高志書院)
「出羽諸城の研究」(沼舘 愛三 著/1980/伊古書院)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「山形県の歴史」(1998/山川出版社)
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「村山市史」(1991/村山市)
「天童市史 上巻」(1981/天童市)

史料、地誌、軍記物




・2010/10/21 HPアップ
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