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山形県村山市の城館索引へ戻る  三月楯の全景三月楯のバナー山楯遠望
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/05/13のブログ
所在地
 山形県村山市山
歴史、人物、伝承

楯岡氏の支城か
 大倉溜池築堤の伝承や楯岡城の領域支配に近いことから楯岡氏との関連が想定されるが、楯主及びその築城の経緯については不明である。
 なお築城時期について「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)では、山城である山楯を含め15世紀中頃を示唆している。
 山楯の根古屋式城郭の居館、或いは「見附楯」とも記されていることからその支城といった説も示されているが、約1kmほど離れた稜線に沿った山道で繋がるという立地条件を考慮した場合には疑問の余地も無くはないものと考えられる。

確認可能な遺構
 郭、櫓台、小口、帯郭ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月13日 15時25分から16時00分
訪城の記録 記念撮影

 主郭まで八段 ( 2010/10/29 記述 )
 水田面からの比高差僅かに20mないしは25mほど。腹具合不調のなか、これくらいなら何とかなりそうと思い半ば枯渇した気力を振り絞って挑戦。然し登り口が見当たらず、止む無くサクランボ畑となっている雛壇状腰郭先端部からアプローチすることに。
 今以てなお高さ2mから2.5mの切岸は的確に機能しているようで、下段の郭から上段の郭を見通すことができず、かつ手持ちの縄張図から小口部分を探さないと登れない仕組みとなっておりました。堀切や横堀などを伴わない雛壇方式の構造ですが、意外にも防御機能自体としては大きな欠陥が伝わってきません。なお足元はトレッキングシューズに履き替え忘れたため普通のスニーカーで、麓から数えて8段ほどの郭群を登切り漸く主郭部分へと到達します。
 なおこのあと主郭東側の沼地側には立派な保護柵が設置されていることを発見。つまりは何のことは無い、東側の堰堤側から登ればサンダルでも登れるように整備されていたのでありました。大倉溜池側から整備された遊歩道を登れば、横矢のかかる構造の搦手経由を3分足らずで忽ち主郭へと到達できるのでありました(苦笑)

三月楯の全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
三月楯の全景 −画像A−
( 2009/05/13 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「山形県中世城館遺跡調査報告書」(/1996/山形県教育委員会)、「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)掲載の略測図を参考にして作成いたしました。

三月城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
主郭の切岸 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭2 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 主郭切岸と小口跡
 約3mほどの高さを有する主郭の切岸と小口(画像左側)を撮影しているつもりなのですが、思ったよりも草類の叢生が早く肉眼で捉えている地形とはやや異なった景観となってしまいました。
凸2 郭2と小口跡
 主郭上から俯瞰した郭2も比較的よく削平されていること、また画像上部中央付近には小口跡の形跡なども窺えますが、後世の耕作などによる地形改変の要素も想定されることから判断の難しいところです。

櫓台跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
山楯方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 櫓台跡
 主郭の南端部には高さ1mほどの方形の盛土地形が残存し、櫓台跡と推定されています。
凸4 山楯方面
 主郭上から眺めた本城あるいは詰城とも推定されている山楯方面の様子で、この大倉溜池の築堤は天正年間に遡るとも。

小口郭
帯郭
凸5 小口郭
 主郭東側の坂小口脇に存在し、搦め手を防御していると推定される半円形状の小郭を撮影した筈なのですが、一見したところではただの山道にも見えてしまいます。
凸6 帯郭
 郭2から続く帯郭で、日当たりの良い西側雛壇状の郭群とは、異なり耕作等による地形改変の度合いは少なそうです。

搦め手
大沼溜池の記念碑
凸7 搦め手方面
 大沼溜池の改修工事により城跡の南東側の斜面はある程度の地形改変がなされており、現在ではこのような急崖を形成しています。
凸8 大沼溜池の記念碑
 画像背後に見える斜面は主郭南側の小口状地形へとへと続いていますが、小口周辺に防御の工夫が全く見られないことから、本来の小口は画像5と、画像1の2か所と考えるべきなのかもしれません。⇒溜池の伝承
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「南出羽の城」(保角 里志 著/2006/高志書院)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「村山市史」(1991/村山市)
「天童市史 上巻」(1981/天童市)
「東根市史」(1991/東根市)

史料、地誌、軍記物



・2010/10/29 HPアップ
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