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1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2009/05/14のブログ
所在地
 山形県東根市蟹沢字楯
歴史、人物、伝承

最上氏一族の館跡とも
 「最上氏系図」によると、応永年間(1394−1428)に最上(斯波)直家の5男兼直が蟹沢殿と称して蟹沢館を築いたといわれているが、その居館が現在の蟹沢館跡と同一であるかについては不明であるという。また兼直の子孫の消息は不明で廃絶したともいわれている。
 後の天文19年(1550)には阿部彦十郎顕胤が泉郷沢渡館から移住して蟹沢村を始めとした近郷を治めたが、元和8年(1622)の最上氏の改易により帰農して代々名主を務め現在に至ったという。(「東根市史通史編上巻」等より引用した)
 館跡は台地を中心とした輪郭式ともいわれ、堀跡の名残りとも考えられる道路も残されているが明確な遺構は現存してはいない。

確認可能な遺構
 台地(切岸)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年5月14日 13時30分から13時40分
訪城の記録 記念撮影

 天候次第の探訪 ( 2011/05/25 記述 )
 長瀞本楯の探訪後は風雨共に小康状態となってきたので、急遽この城館跡に立寄ることにしました。無論城館跡らしい台地が現存しているとはいうものの、現況はこのあたりではお馴染となった感のあるサクランボ畑と宅地でした。この推定地の中心部は袋地の台地のために、周囲から崖線を観察するのが限度のようです。
 また攀じ上れそうな比較的緩やかな斜面を見つけたものの、よくよく拝見するとその上は正しく住宅の敷地内部そのものでした。 この後は在地の土豪階層の後裔とも思われるような如何にも由緒のありそうな旧家の板塀を記念撮影して撤退を。

蟹沢館の台地 ⇒ 画像クリックで拡大します
蟹沢館の台地
( 2009/05/13 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「山形県中世城館遺跡調査報告書」(1996/山形県教育委員会)

歴史・郷土史関係
「角川地名大辞典県6」(1981/角川書店)
「東根市史通史編上巻」(1997/東根市)

・2011/5/25 HPアップ
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