凸最上氏一族の館跡とも 「最上氏系図」によると、応永年間(1394−1428)に最上(斯波)直家の5男兼直が蟹沢殿と称して蟹沢館を築いたといわれているが、その居館が現在の蟹沢館跡と同一であるかについては不明であるという。また兼直の子孫の消息は不明で廃絶したともいわれている。 後の天文19年(1550)には阿部彦十郎顕胤が泉郷沢渡館から移住して蟹沢村を始めとした近郷を治めたが、元和8年(1622)の最上氏の改易により帰農して代々名主を務め現在に至ったという。(「東根市史通史編上巻」等より引用した) 館跡は台地を中心とした輪郭式ともいわれ、堀跡の名残りとも考えられる道路も残されているが明確な遺構は現存してはいない。
凸 天候次第の探訪 ( 2011/05/25 記述 ) 長瀞本楯の探訪後は風雨共に小康状態となってきたので、急遽この城館跡に立寄ることにしました。無論城館跡らしい台地が現存しているとはいうものの、現況はこのあたりではお馴染となった感のあるサクランボ畑と宅地でした。この推定地の中心部は袋地の台地のために、周囲から崖線を観察するのが限度のようです。 また攀じ上れそうな比較的緩やかな斜面を見つけたものの、よくよく拝見するとその上は正しく住宅の敷地内部そのものでした。 この後は在地の土豪階層の後裔とも思われるような如何にも由緒のありそうな旧家の板塀を記念撮影して撤退を。
・いつもガイド の案内図です