凸真宗大谷派本山 慶長7年(1602)に徳川家康から寄進を受けた第12代教如上人(きょうにょしょうにん)により、本願寺(本願寺派本願寺、西本願寺)から分立しこの地に建立された。 本願寺は戦国期には戦国大名にも匹敵する政治力と軍事力を兼ね備えて、一向一揆を指揮し織田信長とは毛利氏、武田氏などと連携しつつ10年間にも及ぶ石山合戦を繰り広げた。 そののち豊臣秀吉により教如は引退を余儀なくされ、弟である准如上人(じゅんにょしょうにん)が跡を継いだ。しかし本願寺は関ヶ原合戦では西軍側に与同したこともあり、本多正信の進言により東西分立をはかり、結果としてその政治的影響力を弱められ徳川幕府の支配体制へ組み入れられていった。 天明8年(1788)、文政6年(1823)、安政5年(1858)、元治元年(1864)の4度にわたり大火に罹災し、現存する建造物の大半は明治期に再建されたものが多い。当時の史料によれば、七条本願寺、信門と記録されるという。別名を大谷本願寺ともいい東西約200m、南北約400mの寺域を有している。
凸 所用時間5分 本能寺跡方面へ急いでいたこともあり、京都駅から烏丸通を北上する際にその東側を通過しただけです。 また2009年の御影同の改修に引き続いて、阿弥陀堂も改修工事準備中となっておりました。
従いましてあくまでも外観だけしか拝観しておりませんので、詳しいことが分かりません。また画像の水堀が創建当初のものか、あるいは度重なる罹災により火除けとして築造されたものなのか全く分かりません(汗)
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