凸室町幕府全盛期の政庁跡 南北朝期の内大臣三条公忠の日記である「後愚昧記」(またの名を「後押小路内府記」)ともいう)によれば、室町幕府3代将軍足利義満が永和4年(1378)3月(に完成させた政庁・邸であり、当該推定地は烏丸通と室町通、今出川通と上売立通に囲まれた東西約100m、南北約200mの範囲とされている。 別名を室町殿、花亭、室町邸などともいうが、応仁の乱の戦火(文明8年、1476頃)により焼失したとされ、室町幕府の名称も当邸の所在地を語源としている。 また、永禄2年(1559)に上洛した信長が宿所とした「裏辻」とは、現上京区の「裏築地町」(うらついじちょう)にあたるともいわれており、この花御所のおおむね西側隣接地に相当するとも指摘されている。(「信長が見た戦国京都」より)
凸 危うく見落とすところ... 足利義満の時に栄華を誇った将軍家の御所跡ですが、推定地の南西角に石柱が設置されているのみです。石柱は現在理容店となっている南西角地の丸い柱の陰に所在し、徒歩による探訪でなければ見落とす可能性もあります。
因みに、石柱の文面に「これより東北 足利将軍室町第址」と刻まれておりましたので、一応念のため推定地域をぐるっと一周してみましたが、往時の面影は全く見ることができませんでした。
・いつもガイド の案内図です