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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2011年4月13日のブログ
所在地
 京都府京都市上京区御所八幡町ほか
歴史、人物、伝承

室町幕府全盛期の政庁跡
 南北朝期の内大臣三条公忠の日記である「後愚昧記」(またの名を「後押小路内府記」)ともいう)によれば、室町幕府3代将軍足利義満が永和4年(1378)3月(に完成させた政庁・邸であり、当該推定地は烏丸通と室町通、今出川通と上売立通に囲まれた東西約100m、南北約200mの範囲とされている。
 別名を室町殿花亭室町邸などともいうが、応仁の乱の戦火(文明8年、1476頃)により焼失したとされ、室町幕府の名称も当邸の所在地を語源としている。
 また、永禄2年(1559)に上洛した信長が宿所とした「裏辻」とは、現上京区の「裏築地町」(うらついじちょう)にあたるともいわれており、この花御所のおおむね西側隣接地に相当するとも指摘されている。(「信長が見た戦国京都」より)

確認可能な遺構
 石柱のみ
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2011年4月13日 9時50分から10時10分
訪城の記録 記念撮影

 危うく見落とすところ...
 足利義満の時に栄華を誇った将軍家の御所跡ですが、推定地の南西角に石柱が設置されているのみです。石柱は現在理容店となっている南西角地の丸い柱の陰に所在し、徒歩による探訪でなければ見落とす可能性もあります。

 因みに、石柱の文面に「これより東北 足利将軍室町第址」と刻まれておりましたので、一応念のため推定地域をぐるっと一周してみましたが、往時の面影は全く見ることができませんでした。

( 2011/04/28 )記述
花御所跡
花御所跡
( 2011年4月13日 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■郷土史・歴史
「日本史諸家系図人名辞典」(小和田 哲男 監修 2003/講談社刊)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「誰でも読める日本史中世年表」(2007/吉川弘文館)
「信長が見た戦国京都」(河内将芳 著/2010/洋泉社)
「史籍解題事典上」(1986/東京堂書店)
■その他
オフィシャルサイト「京都観光ナビ」

・2011年4月28日 HPアップ
・2019年6月27日 画像ズレ補正
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