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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2014年12月15日のブログ
所在地
 京都府京都市下京区中堂寺薮ノ内町・中堂寺前田町・丹波街道町
歴史、人物、伝承

神先氏の居城との説も
 五条通の南、大宮通の西付近の標高約29.9メートル、比高差0メートルの市街地に存在していたと推定されているが、その後の宅地化などにより現在では地表の遺構を確認することは困難であるとともに、城跡関連の石碑・石柱の類いや解説板なども全く存在していない。
 城郭関連資料としては、「京都市内およびその近辺の中世城郭−復元図と関連資料−」(京都大学人文科学研究所調査報告第35号/山本 正男/1986/京都大学人文科学研究所)、およびこれを基礎としたとも解される「京都府中世城館跡調査報告書第3冊」(京都府教育委員会/2014)の2点があげられる。
 城域はおおむね東西約115メートル、南北約145メートルほどの方形の範囲と推定されているようである。
 前記の山下氏の説によれば、武田常光を先祖とする足利義政被官神先氏の居城であるとしている。
 「言継卿記」の大永8年(1528)1月28日の条に、「下中道(堂)寺と申し候処、本圀寺の内、柳本居候処、方々焼け候ふ」(柳本⇒柳本賢治:元細川高国家臣のち細川晴元に従った香西元盛、波多野元清の弟で丹波守護代の一族として丹波船井郡神尾寺城一帯に大きな勢力を有した)との記述が見られ、 さらに「長享年後畿内兵乱記」の永禄元年(1558)5月9日の条に、「松永弾正・三好日向守が布陣」したとの記述があるが、この点について上記の「京都府中世城館跡調査報告書第3冊」では、必ずしも城館の存在を明示しているとはいえないとの解釈をとっている。
 しかし当時に於ける「寺構え」と「城館の構え」には、その占有主体としての経緯などを除いて事実上大きな差異がないこと、東側の本圀寺にて堀跡が検出されるなどの同時代には要害化されていたことを示す発掘調査が行われていることなどを考え合わせれば、神先氏の居館説は別としても、軍勢の布陣を可能にするような何らかの地形的な利点(堀あるいは土塁などの防御施設)が存在していたことは否定できないようにも思われる。
 なお、現在の中堂寺は当地から北に400メートルほど離れた五条通北側の中堂寺西方町に天正年中に移転し現在に至っている。(「京都坊目日誌」)

確認可能な遺構
 地表の遺構は確認できない、石碑・解説板の類いも無い
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2014年12月15日 16時20分から16時30分頃まで
訪城の記録 記念撮影

 たそがれの都北上作戦
 この日は大阪に住んでいる長女と京都駅の駅ビルで遅めの昼食を摂った後、宿泊する駅前の法華会館に立ち寄り可能な限り手荷物を少なくして小休止後堀川通を徒歩にて北上しました。
 あいにくと明日は雨、明後日は強風と降雪というような天気予報のため、まともに探訪できそうなのは本日夕刻のみという切羽詰まった事態であったことは否めなかったのであります。
 いちおうはこの日訪れた「城」と名がつく最初の城跡ではありましたが、南側の道が幾分曲折しているというような状況を除けば地表上に確認できる遺構は一切なく、さらにこの時点であてにした資料は「京都市内およびその近辺の中世城郭」(山下正男著/1986/京都大学人文科学研究所)の情報のごく一部分などといったように誠に心細い限りなのでありました。
 それでも一応は東側の大宮通沿いに「中堂寺前町」の町名が残されてはいます。
 折しも季節は師走中旬でもあることから、早めの日没が刻々と迫り、城跡推定地の北東に所在する住吉神社の境内ほかをざっと撮影して上京区の京都市立中央図書館を目指しそのまま徒歩にて更に北上していきました。
 なお時刻はこの時点で事実上の日没をむかえていたことから、不審者の疑惑を避けるべく北東方向に所在している「だいうすの城」(おそらくゼウスの城の転訛)と「龍臥城」の方はパスすることとなってしまいました。
 もっとも市立図書館で資料収集したあとから気が付いたことですが、東側の大宮通を挟んだすぐ反対側の堀之上町と柿本町にはもう少し歴史的な経緯が明確と思われる本圀寺の寺構えもありましたが後の祭りとはこのことなのかと思いました。

( 2015/11/08 )記述
住吉神社の社殿 ⇒ 画像クリックで拡大します
中堂寺城
( 2014年12月15日 撮影 )
訪城アルバム
近所の東横イン ⇒ 画像クリックで拡大
南辺の路地 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 城域東側に隣接する東横イン(画像1−1)
現在でも大宮通沿いには「中堂寺前町」の町名が残されており、中堂寺の故地であることを示していました。
凸2 (画像2−1)
城跡南辺の東西方向の道で奥の方(南西角付近)は南方向に幾分ゆるくカーブしています。

 ⇒ 画像クリックで拡大
住吉神社の由来 ⇒ 画像クリックで拡大
凸3 慈雲寺(画像3−1)
 城跡推定地の中心部からはやや北側に所在している寺院ですが、特に中堂寺城との関係はなさそうです。
凸4 住吉神社の縁起(画像4−1)
 城跡推定地北東部に所在している住吉神社の縁起ですが、残念ながら城館関係の記述は一切ありません。

住吉神社拝殿 ⇒ 画像クリックで拡大
北側の五条通から ⇒ 画像クリックで拡大
凸5 住吉神社拝殿(画像5−1)
 オレンジ色に見える明かりは社殿内の照明の色で、住吉神社は城跡北東隅の鬼門に所在しています。
凸6 北側の五条通(画像6−1)
 歩道と自転車が分離されていましたので撮影してみたもので、これといって意味などはありません。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「京都府中世城館跡調査報告書第3冊」(京都府教育委員会/2014)
「京都市内およびその近辺の中世城郭−復元図と関連資料−」(京都大学人文科学研究所調査報告第35号/山本 正男/1986/京都大学人文科学研究所)
「日本城郭大系11京都・滋賀・福井」(1980/新人物往来社)
「図説中世城郭事典2」(1987/新人物往来社)
「近畿の城郭1」(2014/戎光祥出版)
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)

■郷土史・歴史
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「角川日本地名辞典 26京都府」(1982/角川書店)
「日本の時代史 12戦国の地域国家」(2003/吉川弘文館)
「日本の歴史 8戦国の活力」(山田邦明 著/2008/小学館)
「戦争の日本史 11畿内・近国の戦国合戦」(福島克彦 著/2009/吉川弘文館)
「だれでも読める日本中世史年表」(2007/吉川弘文館)
「戦国武将・合戦辞典」2005/吉川弘文館()
「日本史人物辞典」(2000/山川出版社)
「京都の歴史がわかる事典」(五島邦治 編著/2005/日本実業出版社)
「図説 歴史で読み解く京都の地理」(正井泰夫 監修/2003/青春出版社)

■史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)  ※諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収

■その他

・2015年11月 8日 HPアップ
・2019年 6月27日 画像ズレ補正
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